記事提供:子ある日和

長男がまだ赤ちゃんの頃。昼過ぎに、家で二人でテレビドラマを見ていた。

二人で、と言っても、実際に見ているのは私だけだったが。

若いカップルのケンカのシーンのクライマックスで、彼が彼女の頬を思わずたたく、よくあるパターン。

私一人盛り上がっているところで、突然長男が火がついたように泣き出した。

ああもう、いいところなのに。私は半分テレビを見ながら、どうしたの?と上の空で長男に声をかけた。

長男は泣きながらテレビを指さしてイヤイヤと首を振っていた。

え?私はびっくりしてもう一度長男を見た。

すると長男はじっとテレビを見つめたまま、今度はウー、と画面を指さして泣き笑いしながら小さな手をぱちぱちと叩いた。

テレビは、二人が仲直りをして抱き合うシーンに変わっていた。

まだ片言さえしゃべれない、伝い歩きも出来ない幼い子供には、テレビの中の架空世界と現実の区別がついていない。

それでいて、ケンカのシーンで泣いて仲直りのシーンで笑うことに私は面食らった。こんなに小さいのに、目の前で何が起こっているかちゃんとわかっているのだ。

これは気を付けなくちゃ。私は内心ひやっとした。

きっとこの子は、夫婦げんかや親子げんかなんか、全部お見通しなんだろうな…。

やがて長男は成長して、2歳違いの次男が生まれた。

ある日、親子3人でお風呂に入っていた。3歳と1歳の子をお風呂で洗ってやるのは一仕事だ。

不意に次男が風呂場のすのこですべって、おでこを蛇口にしこたまぶつけた。ぱあっとすのこの上に鮮血が飛び散った。

見ると、小さなおでこの真ん中に、小さな切り傷がついている。

それほど深くはないのでほっとしたが、ぬれた床ににじんだ血は実際以上に大量に見え、傷口もぬれているのでなかなか血が止まらない。

大泣きする次男をよしよしとなだめながらタオルで傷口を押さえていると、いきなり傍らで長男が大きな声で泣き出した。

ああ今度はこっちがどうしたのよ、とちょっとむっとした私に、長男は真っ赤な顔でしゃくりあげながら

「ゆうま(次男)がかわいそうだああ!」と叫んでいた。

あっけにとられて、私は思わず笑ってしまった。「大丈夫だよ、ちょっとけがしただけだから」

そう私が言うと、ほんと?ゆうま、だいじょうぶ?とまだのどをひくひくさせながら弟の顔をのぞき込む長男。

湯船に浸かるのもそこそこに、慌ただしくその日のお風呂はおしまいになった。

いつもおもちゃのとりあいでケンカばかりしているくせに、長男がこんなに真剣に弟のために泣いてやれるなんて、意外だった。

そんな長男を見て、私は誰かのためにこんな風に真剣に涙を流したことなんてあったかな、と思った。記憶をたぐってもそんな思い出はない。

いや、もしかしたら自分も幼い頃にはそんなふうに無心に誰かのために泣いたこともあったのかもしれない。

でもそんな記憶は、大人になる間に抜け落ちて、消えてしまったようだ。

成長するにつれ、自分のための涙を我慢する代わりに、いつの間にか誰かのために流す涙も惜しむようになっていた。

泣くことは恥ずかしいこと、みっともないこと、誰に教えられたわけでもないのに、そう思うようになって自分の自然な感情にふたをして生きるようになった。

波風を立てずに、平静を装って…。

今はもう大学生になった長男も、周囲で起こる様々な出来事をフンと鼻先で笑って、クールを装った日々を送っている。

テレビドラマのカップルのケンカや、目の前でけがをした弟のために惜しみない純粋な涙を流したことなど、とっくに忘れてしまったに違いない。

それをこっそり覚えているのが、母親の役目の一つなのかもしれない、と思う。

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