記事提供:まだ東京で消耗してるの?

こういう話はどんな分野でもあるんですよねぇ。

悲観論はリスクがない

もっともらしく悲観論を唱える人っていますよね。「自分が生まれ育った田舎が衰退していて吐きそう。もう田舎は終わりつつある」とか。

が、これは注意しなければいけません。悲観論者に気をつけろ。

第一に、悲観論というのは、なんのリスクも取っていない人の言葉なんです

悲観論を唱える人が、ものごとを前進させることはありえません。「もう田舎は終わりつつある」と嘆く人が、ワクワクとしながら自分の田舎を再興させることはありませんよね。彼は結局、傍観者でしかないのです。

悲観論は当たっても外れてもいいんですよ。だから、ノーリスクなんです。

悲観論者は弱者である

第二に、悲観論を発する人は、弱者なのです。

ようするに彼は「弱音」を吐いているわけです。身に覚えがありませんか?ぼくも弱ったときには、つい悲観的になって妻に泣きつきます。

悲観論というのは本質的に、弱った人間が、自分を癒し、共感を、慰めを得るために、その言葉を吐いている現象なのです。まずはそこに気付きましょう。その上で、あなたが癒しに加担するか、放置するか、叱咤するかは任せます。

ものごとを悲観的に見るか、ポジティブに見るか

悲観論者が間違えているのは、ものごとは見方によって悲観的にも、ポジティブにも変わりうるということです。結局は観測者の主観でしかないのです。

ぼくの住んでいる地域とか、かなり絶望的ですよ。人口減ってますし、高齢化率も高いですし。

でも、ぼくはここに希望を見出し、未来を描こうと考え、実際に子育てして定住しております。うちの地域を悲観的に見ることもできますが、そんなことをしても前に進まないですからねぇ。絶望するだけで人生を終えるのは、つまらないですよ。

繰り返しますが、「見方の問題」なんです。ぼくは絶望のなかに、希望を見出します。もう、毎日超楽しい。高知の限界集落は未来が詰まってます。こういう人間が集まれば、社会は変わっていくのですよ。悲観論では、ものごとは変わりません。

ポジティブな人、求む

悲観的な人は足を引っ張るだけなので、ぼくはともに時間をすごしたくありません。

高知に来るなら、ぜひポジティブな人に来て欲しいですね。定量的に見たら、高知なんてかなり絶望的な県ですし。

でも、だからこそ、ここは面白いんですよ。未来を自分の手で作れるこの「ワクワク感」は、東京では得難いものなのです

というわけで、まだ東京で消耗してるの?

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