親が我が子を殺したという痛ましい事件が後を絶たない。だが、こんな親子もいるのだということを知って欲しい。

富山県の遠縁を訪ねた私がそこで見たものとは―

私がその母娘を見かけたのは今からもう20数年前になります。当時、お母さんの方が100歳、娘さんが80歳だと聞きました。ですから、あまり考えたくないことではありますが、お二人とも既に亡くなられているのではないかと思います。

その時、私は遠縁を訪ねて遠い富山県のとあるお寺に滞在していました。100歳の母親というのは、そのお寺の住職さんのご母堂であり、80歳の娘さんが住職さんの姉に当たりました。遠路はるばる初めてやってきた私をご一家で歓待して下さり、滞在予定の数日間はあっという間に過ぎていったのです。いよいよ明日は帰るという前日、私は住職さんのいちばん上の娘さんに「青海」という町に案内して貰いました。そこに、住職さんのお姉さんが住んでいたのです。青海を訪れたのは私より一歳上の娘さん、ご母堂様と私の三人でした。

どう見ても本物の親子にしか見えなかった高齢の母娘。

私たちはファミレスで昼食を取り、近くの浜辺に立ち寄りました。春先の北陸の海はまだまだ荒れていて、私が見慣れている穏やかな瀬戸内海とは様相が異なりました。海から吹いてくる風も冷たく、春だというのに寒かったのを今でも憶えています。そんな時、100歳の母堂様が傍らを歩く80歳の娘に自分の羽織っていたショールを脱ぎ、かけてあげました。どちらも既に十分すぎるほど高齢の親子ですが、それは母親が子を思う真摯さに溢れる風景でした。ご母堂様の仕草はとても自然で、100歳でご自身もかなり弱っておられながらも、80歳の娘に寄り添うように歩いていました。

立ち止まったときは甲斐甲斐しく風に乱れた髪や防寒のために被ってる毛糸の帽子を直してあげたり―。100歳の母親が80歳の娘の世話を焼く風景は何とも心温まるものだったのです。ですが―、この少しの後、私は予期せぬ事実を知ることなりました。

仲の良い高齢の母娘は何と血の繋がらない間柄だった!

主に案内役をしてくれた私と年の違わない住職さんの娘さんが説明しました。「おばあちゃんとおばちゃんは、本当の親子ではないんですよ」。その一言は私を驚愕させるに十分過ぎました。ご母堂様が明治生まれであることを考えれば、二十歳でいちばん上の娘さんを生んでいても、おかしくはありません。二人の自然に寄り添い合う様子からは義理の親子であるとはまったく想像の余地もありませんでした。

聞いたところによると、ご母堂様が嫁いできた時、長女である娘さんはまだ赤ちゃんだったそうです。先代住職の奥様は病気で幼い娘さんを残して亡くなられたそうです。そこに後妻としてご母堂様が嫁いでこられました。なので、まさしく二人はまったく血の繋がらない母子だったのです。ですが、ご母堂様は先妻の残したこの幼い娘を我が子同様に慈しみ育てました。それから後、彼女自身にも次々と四人のお子様が生まれたものの、なさぬ仲の長女への愛情は変わることなく、怒るときには我が子のように怒り、抱きしめるときは惜しみない愛情をもって力の限り抱きしめて育て上げたのです。それは娘さんが晴れて他家に嫁入りする日まで続きました。

出典 https://www.photolibrary.jp

私が目にしたのは富山の海をいだく朝焼けの空のような優しい母の想いでした。

親子の絆を作るものは「血」ではなく、「心」だと知った日。

住職さんの若いお嬢さんの話には説得力がありました。何より、私はその話を聞いた後でさえ、ご母堂様と娘さんが実の親子でないとは、どうしても信じられなかったのですから。こ母堂様は隣の娘さんに「寒くはないの? 風邪を引いたら駄目よ」と繰り返し話していました。いささか過保護気味にも思えるその様子は、どう見ても継母には見えないし、ましてや見せかけではなく、心からのものでした。また、反対に「お母ちゃんも年だから、風邪を引かないようにしなくちゃ」と、ご母堂様を労る娘さんの様子も優しい母親を労る娘でしかありませんでした。

この瞬間、私は思ったのです。親子の関係を作るために最も必要なのは、血ではなく気持ちの通じ合いであることを。言い換えれば、幾ら血の通った、いわゆるDNA上は正真正銘の親子であっても、親と子の間に情愛がなければ、本物の親子とはいえないのではないかと思いました。その証拠に、殺伐とした現代社会では、実の親が罪のない幼い我が子を虐待し殺す、またはネグレクトなどの悲惨な事件が次々に起きています。そういった親は恐らく我が子に対して愛情を持つことができなかったからではないでしょうか。

「親」になるためには努力も必要かもしれない。

ここまで書いてきて、皆様、私が血が通っていようが、義理であろうが、親子関係を築くためには気持ちや愛情が必要だ―、そう訴えていると理解して下さったと思います。確かに、それは間違いはなく正しいのですが、是非、最後にこのこともお伝えしたいのです。

私自身、四人の子を育てる母親であり、育児中、特にまだ子どもが分別のつかない乳幼児期には母である自分も駄々をこねて泣く子と一緒に泣きたいときもありました。そんな時、ふっと「この子が泣き喚きばかりしなければ、私は泣くこともなくラクに過ごせるのに」と、子どもを恨めしく思うときも確かにあったのです。しかし、その直後、子どもがまだ目に涙をいっぱい溜めて私に微笑みかける無邪気な笑顔に、胸が熱くなりました。「ああ、私はまだ幼い子どもに対して何ということを考えたのだろう」、子どもに対して申し訳ないと共に、自分自身が恥ずかしく思えました。

でも、親も人間です。育児ストレスが溜まることもあるでしょう。そんなときには、やはり「ほんの少しの努力」も必要になってくるかもれません。子どもはまだ成長中なのだと自分に言い聞かせてたり気分転換をして乗り切ることも大切です。もしかしたら、なさぬ仲の80歳の娘さんを気遣っていた100歳のご母堂様にも口には出さないだけで、そういう体験もあったかもしれません。

実の親が子を殺し、子が親や祖父母を殺すという痛ましい事件を聞く度、私はどうしても二十年余り前に見たこの親子のことを思い出さずにはいれません。皆様にも是非、親子のあり方について考えて頂きたい、そのきっかけになればと願ってやみません。

この記事を書いたユーザー

めぐみ このユーザーの他の記事を見る

フリーライター。ウェブ小説を書いています。2013年、「歴史浪漫文学賞」において最終選考通過。入賞候補作品「雪中花~とりかえばや異聞」書籍化。洋の東西を問わず、歴史が大好き。自称【歴女】です。韓流時代劇に夢中。そのほかにも美容・天然石アクセサリー作りなどに興味があります。
ブログのURL http://ameblo.jp/megumi3777/

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス