プロレスラーとして現在メディアの露出度ナンバーワンと言っていい真壁刀義選手。

日本テレビ系「スッキリ!」で

このスイーツレポートでもお馴染みですが、真壁刀義選手にはプロレスラーデビュー前やデビューしてからもブレークするまでの間は不遇の日々でした。

理不尽なシゴキ

真壁刀義選手は1996年4月に帝京大学を卒業後に新日本プロレスに入門。同期には藤田和之選手がいましたが扱いは明らかに藤田和之選手の方が上でした。
藤田和之選手はアマレスのエリートで入門して半年の1996年11月にデビュー。真壁選手は翌年の1997年2月にデビューでした。デビューしてからも藤田和之選手は新日本プロレスの創始者であるアントニオ猪木さんの付け人兼スパーリングパートナーとしてデビューして間もなくメインに抜擢されるなどエリートとして扱われましたが、真壁選手は長州力選手の付け人として雑用に追われて前座で試合を組まれないこともありました。

そのプロレスラーとしてデビューするまでに壮絶なシゴキがあったのです。

ヒザを壊してスクワットできる状態ではないのにやらせて。できないからって食らわせて。もう辞めさそうとしてるしか思えない。

出典 http://sugoiuwasa.jp

当時のことを真壁選手はラジオで練習生時代に理不尽なシゴキを受けていて、指導の域を超えた理不尽な暴力をよく振るっていて本気で殺意が湧いたと告白しています。

当時真壁選手は理不尽なシゴキに対して新日本プロレスの道場にある風呂場の横で人に知られないように声を出さずに泣いていたそうです。そんな真壁選手を励ましていたのが

山本小鉄さん

出典 http://blue.ap.teacup.com

声を出さずに泣いていた真壁選手を励ましていて、真壁選手はその事を恩義を感じ山本小鉄さんのお墓参りは今でも欠かさずに行くそうです。
山本小鉄さんも真壁選手が新日本プロレスの「G1クライマックス」で初優勝した時も

リングに上がって祝福をしました。

後輩にも抜かれる

デビューしてからも不遇の扱いは続きます。同期の藤田和之選手に先をいかれただけではありません。

棚橋弘至選手

出典 http://www.njpw.co.jp

鈴木健想選手

出典 http://kuro.pinoko.jp

後輩である棚橋弘至選手、鈴木健想選手にも抜かれました。棚橋弘至選手と鈴木健想選手は「タナケン」として売り出しをされましたが、真壁選手は長州力選手の付け人としてやはり雑用に追われて、前座での試合を続ける日々でした。
真壁選手のスイーツ好きの理由の一つに当時のことがあります。

いまのスイーツ好きも、当時の厳しい下積み時代の唯一の“息抜き”だったことが大きく影響している。地方へ巡業に行っても遊びに行く場所などない。もちろんおカネもない。そんな中で、会場近くの喫茶店でケーキを頬張る時だけが、真壁のほっとできる瞬間だったのだという。

出典 http://number.bunshun.jp

スイーツを食べる時だけが安らぐ時間だったのです。

海外遠征から帰国しても

2000年に開催されたヤングライオン杯では準優勝の好成績をマークしてようやくプロレスラーとして出世ロードといえる海外遠征が決まりましたが、遠征先はプエルトリコ。当時プエルトリコは治安も悪く海外遠征といっても島流しともいえる形で無期限海外遠征に行くことになりました。

2002年にプエルトリコの海外遠征から帰国しましたが、帰国すると行われる凱旋試合を新日本プロレスは真壁選手に組んでくれませんでした。そこで真壁選手はインディー団体で凱旋試合を行い、ヒールに転向しました。
そこからも中々ブレークすることなく、アキレス腱断裂という大怪我もして2006年にアキレス腱断裂から復帰後に当時新日本プロレスが普段の興行とは別に行っていた興行に単独で乗り込みましたが、そこでインディー団体であるアパッチプロレス軍のエースである金村キンタロー選手にこんな事も言われました。

金村キンタロー選手

出典 http://blog.livedoor.jp

'06年5月21日、新日本の別ブランド興行『LOCK UP』でのことだ。メイン終了後に乱入した真壁は、アパッチプロレス軍のエース・金村キンタローに「真壁は呼んでないよ」とあしらわれ、観客からは笑いが起こった。

出典 http://number.bunshun.jp

この時のことを真壁選手は

「あの言葉と客の失笑はいまだに覚えていますよ。俺は新日本の選手なんだって胸張っていたけど、実は会社に守られていただけ。そう気づいた瞬間がスタートで、俺のターニングポイント」

出典 http://number.bunshun.jp

そこから真壁選手はヒールとしてブレークを始めます。アパッチプロレス軍に乗り込んでアパッチプロレス軍のベルトであるWEW王座を獲得し、アパッチプロレス軍でヒールとしてブーイングを浴びても「これが現実だ!」と叫び、ヒールとして更に観客を沸騰させて、
新日本プロレスでもヒールユニットを組んでスター選手を血だらけにしたり、試合に乱入をして観客からブーイングを浴びたり、新日本プロレスでは異例であるデスマッチを行ったりとヒールとして新日本プロレスでもブレークしたのです。

その時のことを真壁選手はこう語っています。

「歓声とブーイングはベクトルは違っても客が熱くなっているという意味では一緒なんだって。俺はこれでのし上がればいいんだって思ったし、新日本に足りねえのもこれだなって。正直、アパッチより新日本のほうが劣ってると思いましたからね。だからベルトを巻いても、ずっとチャレンジャーの気持ちでやってましたよ」

出典 http://number.bunshun.jp

当時はプロレス冬の時代と言われていた中でなんとかプロレスに熱を取り戻そうとしてたのです。

ヒールからスイーツ真壁へ

ヒールとしてブレークをした後、同じヒールユニットとして活動しタッグパートナーでもあった矢野通選手から裏切りに遭います。

矢野通選手

出典 http://laughy.jp

そこから真壁選手の路線が少し変わっていき、ヒールでありながらも観客から声援を浴びる機会が増えてきました。矢野通選手との抗争は真壁選手をヒールから少しづつベビーフェイスとしてファンも見るようになってきたのです。

そして2008年に上述した新日本プロレス真夏の祭典と言われる「G1クライマックス」に

中邑真輔選手

出典 https://www.kinokuniya.co.jp

デビュー当時からスター選手であり総合格闘技でも結果を残した中邑真輔選手を破り初優勝。翌年には中邑真輔選手を破って新日本プロレスの象徴であるIWGP王座も獲得しました。

そこからはヒールとしてではなく、ベビーフェイスのスター選手としてファンから声援を浴びる立場になり、今の地位にたどり着いたのです。

これからの真壁選手は

芸能活動も始めて現在「プロレス女子」なる言葉も出てきてプロレスブームが起きてますが、真壁選手は自分自身の現在についてこう語っています。

――たしかにテレビ出演とプロレスという“2足のわらじ”生活をしているわけですから。

真壁 で、そんなことを考えてたらさ、どっかしら、自分を慰める自分がいたんだよな。「第一線でなくても、いいんじゃないか?」「こんだけ世間に訴えてれば、それでもいいんじゃねぇのか?」って。そう考えたこともあったんだけど、よく考えてみればさ、「俺、テレビの世界で闘ってる人間じゃなくて、リングで闘ってる人間だからな!」って思い直したわけよ。

――なるほど。

真壁 加えて、もう一ついえば、リングで闘わない真壁刀義をテレビは必要としねぇんだよ。そういうことなんだよ、結局は。

――現役バリバリだからこそ、お呼びがかかるってことですよね。

真壁 そうそう! そこに一番大きな意味があるんだよ。忘れちゃいけないのは、「俺の本業はプロレスラー」ってこと。本業を多忙にかまけて、少しでも手を抜いたら価値のねえレスラーになっちまう。それを考えたら、「やっぱり俺の主戦場はリングだな」と思い直したんだよね。

出典 http://www.njpw.co.jp

「今の俺はトップ戦線から一歩引いてるように見えるかもしれないけど、常にNo.1を狙う気持ちはありますよ。俺が引っかき回したら――新日本は、もっと凄えことになりますよ」

出典 http://number.bunshun.jp

生粋のプロレスファンでプロレスに熱を取り戻そうとしてきた真壁刀義選手。「プロレス冬の時代」と言われて「もうプロレスは終わった」と言われてきた中で文字通り体を張ってプロレスを支え続けてきたのも、不遇の扱いを受けても歯を食いしばってきたのも「プロレスが好き」だからなのでしょう。

この記事を書いたユーザー

篁五郎 このユーザーの他の記事を見る

政治・経済、思想・哲学、文学を学びつつ地元を中心にラーメンを食べ歩くフリーの物書きおじさんです。
spotlight公式/プラチナライターでもあります。仕事は随時受け付けしてますのでブログなどを参考に依頼待ってます。
ブログ:http://ameblo.jp/komi1114/
メールアドレス:komi1114@gmail.com

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス