記事提供:子ある日和

不妊治療を経て結婚7年目で授かった待望の娘。

まさか自分が…と信じられない気持ちになりながらも、医学の力を借りなければ授かれないのなら借りるしかない、と気持ちを切り替えるしかなかった。

考え方の違いから主人と衝突したり、いろいろ悩んでとことん話し合って、思い通りにいかなくて泣いて、怒って、イライラして、結局自己嫌悪に陥って、また振り出しに戻ってグルグル考えて疲れて寝てしまったり。

母親が元気付けようとする何気ない一言に傷付いたり腹が立ったりもした。

初めての妊娠反応が出た時は病院で先生から告げられた。夫婦で「えっ!?」とまぬけな返事をしてしまった。

胎嚢が映し出されたエコー写真をもらった時は手が震えたのを覚えている。

心拍確認の診察に行こうとした直前になんと出血。

病院で診てもらった時にはすでに流産しかかっていて、心の準備もできないまま、内診台でそのまま処置されてしまった。

さっきまでお腹の中にいた我が子はあっという間にいなくなってしまった。

貧血気味になりリカバリー室へ行くのにも足が震えてしまって車いすで移動。ベッドに横になってからジワジワと実感が沸き、ただただ涙が溢れた。他の患者さんもいたから必死で声を殺しながら泣いた。

病院が私を気遣ってくれて夫に連絡してくれていて、仕事を後回しにして駆けつけてくれた。

家に着くまでの間、無言になる事も多かったけど、「ママの体に負担をかけないように自分から出てきてくれたから親不孝だけど親孝行な子だったね」と主人が言った。

“あぁ、私はこの人を父親にしてあげられなかったんだ”とまた泣いた。

その後は何度も採卵・移植するも初期流産を繰り返しなかなか授からず転院。

すると転院してすぐの採卵・移植で妊娠。

信じられなかった。

でも胎嚢確認後にまた出血。内診台で大出血。妊娠継続・流産の可能性は半々。

「とにかく赤ちゃんの生命力を信じるしかない」と言われ、一日中お腹に話しかけ、ただひたすら我が子を信じるしかなかった。

だんだん出血量も減り、先生から「もう大丈夫」と言われた時はどれだけ嬉しかったか。なんだかもう一仕事終えたような気分だった。

それまでの苦労が嘘のように順調に育ってくれ、へその緒が首に2重に巻きついていたり、逆子だったりと心配な事もあったけど、30時間の陣痛に耐えながら無事出産。

育児が大変なのは覚悟していたけど、これだけ待ち望んでいた赤ちゃんなんだから夜中の授乳でも夜泣きでもどんとこい!と思っていた。

嬉しい悩みのはずだと思っていたけど、いざ育児が始まるとそんな風に思う余裕はなくなった。

母乳の量が足りず、ミルクを嬉しそうに飲む娘を見て母親失格だ、と落ち込むこともあった。

抱っこで寝たところをベッドに置こうとすると背中センサーが発動して起きて泣く娘に「何で!?」と声を荒げる事もあった。

昼間は良く寝るのに夜中1時頃から泣き続け朝6時頃に寝る娘に「もう!」とイライラし、自己嫌悪に陥ることもあった。

こんな時期はいつかは終わると分かっていても、この時はこの負のループが永遠に続くような気がしていた。

嬉しい悩みのはずだ、なんて思っていた自分はとても浅はかだった。

本当の大変さを分からずに、ただ子供が欲しいというために治療までして母親になる事を望んだ私は覚悟が足りず間違っていたんじゃないか、と娘の存在を否定してしまいそうな事まで考えた時もあった。

けれど、そんな娘ももう2歳。

大した病気もせず、すくすく成長してくれた。

私の口癖を真似るようになり「ダメでしょ!」「○○しないで!」と口が達者になりそうな片鱗を見せている。

イヤイヤ期は終盤になっている気がする。

主人を「パパいってらっしゃ~い、早く帰ってきてね~」と手を振って見送る娘にデレデレ顔の主人を見ると、父親にしてあげられて良かったと思う。

ご飯の時に「ママ、ご飯作ってくれてありがと!」と言われると、美味しいご飯作ってあげよう、という気持ちになる。

寝顔を見ると、日中の娘に対するイライラも吹き飛ぶ。

「大好き、パパもママも大好きよ」と囁いてほっぺにチューして翌日のパワー充電。

どんなに憎らしくても腹が立っても愛おしい娘。これから何があってもパパとママは娘の味方。

何度も何度も願った念願の赤ちゃん。

その子は今、こうして元気に育っている。

「諦めなくて本当によかった」

何気ない毎日を過ごしながら、心の底からそう思う。

あの時授かった奇跡の命。

「ママをママにしてくれてありがとう」

「パパをパパにしてくれてありがとう」

そう思いながら、今日も「大好き」と娘につぶやく、そんな幸せな日々。

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