9/1から一週間は防災週間です。
そこで4年前の東関東大震災を改めて振り返ってみたいと思います。
東北大地震では津波や火災の影響で宮城県を中心にたくさんの被害がでました。
その中でも破滅的な被害にあった宮城県女川町について書きます。

出典 http://bgrace.exblog.jp

女川町の町の被害。

出典 https://tokyopastpresent.wordpress.com

女川町の地形。

宮城県女川町は海に広く面していてさらに地形の関係もあった為に
当時女川町は津波による破滅的な被害を受けました。
町の津波の高さは約20mにも達し全家屋の7割の建物が全滅し、
10名に1人という多くの町民が犠牲になったのです。

出典 http://www.nikkei.com

高台にある女川町立病院の一階まで浸水。

私は今年初めて女川町を訪れました。
災害から4年たった町は未だ何もない更地になったままでした。
かつてこの場所は駅が近く商店街で賑やかだったようです。
災害当時に地元の商店街で洋服屋さんを営んでいた女性Aさんのお話を聞くことができました。

そのお話はテレビやニュースでは解らない地元の方のお話でした。

災害当時、高台に避難ができたAさんだったのですが目の前に広がる自分の町が津波で一瞬でなくなる光景をみていました。
津波が町にきてからまだ水面が1メートル位にも関わらず、想像を超えた水圧が家を動かし、そして引き潮ですべてを海へ流されていった光景を。

あの時は地獄を見ていたようだった。
何もかも失って戦後のようでほんとに辛かった。
災害後の町は悪臭が酷くハエがお団子位までの大きさに成長していた。
聞いているだけで同じ日本にいるとは思えない内容でした。

でもその後はAさんも生存した町の方たちとみんなで助け合い復興にむけて今も頑張っています。

女川町の新しい商店街

震災でなくなった町の商店街は、現在少し離れた場所ですが震災で被害を受けた女川町の皆様の生活と復興のために開催された女川町の商店街があります。
Aさんも現在その中のお店でお洋服を売っています。

【きぼうのかね商店街】です。
女川町のシンボルだった4つの鐘の1つだけがガレキの中から見つかり
その【希望の鐘】をこの新しい商店街のシンボルとして、『希望の鐘のもとで復興を目指す』と建てられたみたいです。

がれきから見つかった希望の鐘。

きぼうのかね商店街

こちらの商店街は木造の店舗30棟とプレハブの店舗20棟に
飲食店や青果店、衣類品、さらに交番、銀行、郵便局などもあり町の復興の中心的役割を坦いているそうです。
観光客の皆様が休憩のためだけでもいいので『きぼうのかね商店街』へ足を運んで頂ければ嬉しいですと商店街の方の代表酒井さんのコメントがありました。
是非、近くに行った時には『きぼうのかね商店街』にお立ち寄り頂ければと思います。
私もこちらの商店街に行き貴重なお話しを聞くことができました。
皆様も被災地に訪れた時には是非現地の方のお話を聞いてみることを
とてもお勧めします。

あれから4年・・・

東関東大震災から4年がたった今でもまだ震災場所はほぼ荒地のままの状態です。
復興をするのはとても時間がかかり大変な事です。
でも町の方たちは一生懸命に新しい未来を生きようとしています。
まだまだ大変な被災地ですが復興が一日も早く進み以前のような暮らしができる事を祈って今後も応援しています。

この記事を書いたユーザー

はなママ このユーザーの他の記事を見る

初めまして。
普段はAmebaさんのブログで毎日
はなママのダイエット&ファッションを書いています。
Spotlightさんでは自分の興味がある事を中心に書いていこうと思いますので
今後も宜しくお願いします(_ _)m

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス