ストーンズ加入とメタリカ加入を断られた大物プロレスラーの日本限定で吹き込んだレコードの中身

27時間テレビのTシャツに人種差別用語がプリントされていたというが、
海の向こうでも1人のプロレスラーが、過去の差別発言を録音されていたことから窮地に陥っている。

複数の米メディアによると、問題となったのは07年にホーガンが妻との離婚訴訟中、弁護士との会話を録音したテープの中に残っていた人種差別発言。長女で歌手のブルックさん(27)が黒人男性と交際していることについて不満を述べる中に黒人に対する差別的表現が含まれていた。何者かによってインターネットメディアにリークされ、明るみに出た。

ホーガンは同日付のツイッターに「オレは制御不能の嵐の中にいる。神は、神の望む場所へとオレを運んでくれるだろう」とつぶやきつつ、米誌「ピープル」などの取材には「攻撃的な言葉を使ってしまったことは自分としても許容できないし、言い訳もできない。謝罪する」と陳謝。「世界中の誰もが重要な存在で、民族や性別、宗教を理由に差別されるべきではない。自分自身に失望している」ともコメントしている。

近年、各スポーツ団体は選手、関係者らの人種差別行為に厳しい姿勢を打ち出している。米国では昨年4月にNBAクリッパーズのオーナーが
永久追放処分になるなど、差別撲滅へ断固とした方針を示している。

出典 http://www.hochi.co.jp

「口は禍いの元」を地で行くような、
過去の栄光がすべて吹っ飛びそうな窮地に陥っている状況だ。

とはいえ、元々は、セルフプロデュースに長けた人である。

プロレス入り以前は70年代半ばの南部ロッカー(ベーシスト)とされる彼が、
音楽で芽が出ないならば、他に観客を熱狂させるエンターテイメントの道として、
巨体を活かしたプロレス界を選ぶあたりからそれは始まったのではないだろうか。

出典 http://www.teddwebb.com

体躯たるや大型ベーシストそのもの

出典 https://ringthedamnbell.files.wordpress.com

ビリー・グラハムっぽいサイケな出で立ちのメンバーもいる。上半身を晒すあたりがプロレス入りへの布石か。

レスラーとしてまだまだ無名だった82年頃は「ロッキー3」出演でスタローンと絡み、
「スタローンと闘ったプロレスラー」の実績・称号を手に入れた。

83~84年頃は頻繁に来日し、アントニオ猪木に勝つところまでランクを上げながらも、
本国でWWE(当時WWF)の全米制圧の旗頭にというオファーに乗っかり、
85年にはマジソンスクエアガーデンでチャンピオンベルトを巻き、
ゲストのシンディ・ローパーやミスターT(当時人気俳優でしたね)とも絡み
プロレス界のアイコンとなり、個人としてもセレブレティの仲間入りを果たす。

そうかと思えば90年代は、ライバル団体(CNN創業者がオーナーのWCW)に寝返り
人気ユニットNWOを結成。バカ売れしたTシャツの売上の分け前だけでも相当稼いだのではないか?
00年代以降は、WWEを出たり入ったりしながら、プロレス界の生きた伝説の地位をキープ。

機を見て便な判断力と行動力でスターとなり、巨額の富を得た「成功者」といえる。
もっとも近年は家族ぐるみのスキャンダル(ダブル不倫からの離婚騒動や、息子の飲酒事故など)も有名人ゆえに大々的に報道され、苦労の絶えないところではあろう。
(開き直れるタフなメンタルの持ち主の可能性も大だが)

そんなセルフプロデュースの嗅覚鋭いホーガンが、
音楽業界への再挑戦、しかも超大物バンドへの加入を目論んだとすれば、
さらなるステージアップを狙ったアクションのようにも思われる。

加入を狙ったのは、超大物中の超大物、ストーンズとメタリカである。

ベースをプレイするプロレスラーのハルク・ホーガンは、ベーシストが抜けたザ・ローリング・ストーンズとメタリカに本気で加入したくて、あの手この手を使い熱心に自己アピールしたそうだ。両バンドからは無視されたそうだが…。

出典 http://www.barks.jp

だが、これは算盤づくのセルフプロデュースではなく、
元々ロッカーとして活動していたホーガンの、
「一番なりたかった職業」実現への、純粋な行動であるとも思える。

というのも、熱い想いの表出は今に始まったことではなく、
80年代半ばに彼にとって渡りに船のオファーに飛びつき制作したであろう
4曲入りミニアルバムが、日本限定で存在するからだ。

「一番」

出典 YouTube

このミニアルバムは、彼の前身たる南部ロッカー的な香りは皆無。
それでいてAORでも産業ロックでもなく、
敢えて分類するならオールドスクールのラップの棚に並べようか
どうしようかという仕様の音(というかホーガンのヴォーカル)だ。

1曲目は、コーラス部が後に「ロボットレストラン」の宣伝カーが流す曲に多大な影響を与えた、という妄想をかき立てずにいられない仕上がり。

2曲目は、ブルージーな、本領発揮というか昔取った杵柄が炸裂するかもという
オケが流れてきたが、熱唱は聴かれず。
そのすかし方は、まるで謎のマスクマン「ミスターアメリカ」に扮した際の、
マスクを脱ぐと見せ変えて結局脱がないフェイントを彷彿させる。

3曲目のインストは70年代後半のフュ―ジョン風。
後にHIP-HOPでサンプリングされまくり、
印税がストック状態で振り込まれることを見越して
作られたのであれば先見の明がある(多分誰もサンプリングしてない)。

4曲目は、あたかも70年代のセルフコンテインドの黒人グル―プが、
80年代に入ってエレクトリックファンクに衣替えしようかどうしようか
逡巡しているような按配がある。また、もう一歩振り切ると、カメオの「ワードアップ」に先駆けのような
サウンドに仕上がりTOP40ヒットを狙えたかもしれない。

今こうして音だけ聴くと、企画ものゆえの珍品という評価しか
なされないかもしれないが、演奏にはジョニー、ルイス&チャーも参加しており、実はストロングスタイル。

ピクチャーディスクである点といい、ホーガン自身は
「プロレスがんばったら、レコードも発売されちゃったよ!」という、
自己肯定感に包まれ、プロレスに対するモチベーションをさらに上げたことは容易に想像ができる。

何よりホーガンから学ぶべきは、キャリアに対してどん欲な点だ。例の超大物グループへの加入の件だって、「断られた」結果であるにしろ、プロセスは超積極的だ。

ストーンズへのアプローチは、

UKのアワーズで、当時、ミック・ジャガーの恋人だった
ジェリー・ホールに会って、彼女がミックと電話で
“あら、ベースベース・プレイヤー探さなきゃ。2つしかチョイスはないわね”
って話しているのを聞いたんだ。俺は“なに?”ってなったよ。

出典 http://www.barks.jp

すでに、彼女から子供たちが俺の大ファンで、
グッズが欲しいって言われていた。
俺は“よし、彼女を味方につけよう”って思ったね。
それで、“俺、ベースをプレイしてたんだ。
ローリング・ストーンズの曲は全て知っている。
ローリング・ストーンズにベース・プレイヤーが必要なら、神に誓う、
俺がやるってミックに言っといてくれ。1日リハーサルしたら、
彼らがプレイするもの全てプレイできるようになる。
お願いだからミックに言っといてくれ。お願いだ”って言ったんだ

出典 http://www.barks.jp

メタリカへのアプローチは、

手紙を書き、自分がプレイするテープを作り、
彼らのマネージメント会社へ送った。電話をかけ続けた。2週間やったけど、彼らからも一言も返ってこなかった。

出典 http://www.barks.jp

ホーガンほどのステータスを手に入れている人物でさえも、さらに上を目指し突き抜けた存在になるためには、
お高く止まらず、誰かに頭を下げることもいとわず、
手紙を書き、電話をかけ、デモテープを送り、プレゼントも贈る。

我々は、日々のキャリア…営業活動において、企画のプレゼンにおいて、
就職活動や転職活動において、ここまで熱心に、断られることを恐れず行動しているだろうか?
ビジネス書を読んで受け売りの知識だけ詰め込んだ
頭でっかちの「意識高い系」になって
机上の空論を語って悦に入ったりしていないか?

ホーガンから人生における大切なことを学ぶならば、その意欲と行動力だ。

ちなみに90年代に本国で発売されたCDではラップのスキルがかなり上達していた。

出典 YouTube

最も奏でたいのがサザンロッックであったとしても、
マーケットを意識して、敢えてラップに挑むことは、
彼にとっては信念を曲げることではなく、
キャリアアップのためのステップのひとつに過ぎない。

そもそも70年代にサザンロッカーとしてデビューしたこと自体が、
当時最速で世に出るためのチョイスであった可能性もあり、
彼の音楽性自体はいまだによくわからないところではある。

人種差別発言が問題となっているホーガンだが、
この通り、音楽性という部分においては、
黒人のそれを大いに取り入れているだけに、
現状はかなり皮肉かつ残念な出来事である。

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