記事提供:TRiPORT

こんにちは。TRiPORTライターのへむりです。

前回の記事では、スタディツアーをおすすめする理由について書きました。今回は、僕がスタディツアーに参加して初めて知った、フィリピンの貧困と、日本との見えざる関係について書いていきます。

ゴミ山の背景にある事実

上の写真のようなゴミの山で生活している人を見て、

「なぜゴミ山に暮らすんだろう?」「自業自得じゃないか?」

という疑問も持つ人もいるでしょう。実はここ、フィリピン・スモーキーマウンテンと日本には、見えない関係があります。

ここで、とある村のフィリピン人たちに起こったひとつの事例を紹介したいと思います。日本で数年前に流行したナタデココ。その背景には、こんなストーリーがあったと聞いたのです。

もともとフィリピンの農漁村では自給自足が行われていました。自分たちが食べる分は自分たちで育てるので、現金収入が少なくても生活は成り立ちます。ある日、そこに日本の企業がやってきました。

「テレビやバイクは欲しくないかね?」

そのようなことをいきなりやってきた日本人に言われ、「そんなお金はない」と村人たちは言いました。

続けて日本人は「ナタデココを作るんだ。ナタデココは日本で売れる。私たちがそれを買うので、お米や野菜はそのお金で買うんだ。余ったお金で、バイクやテレビも買えばいい」と誘います。

「それなら!」と村人たちは喜び、書類にサインをし、自分たちが食べるものを育てていた畑をつぶし、ナタデココの原料になるココナッツのプランテーション畑にしていきます。

しかしいざ、ココナッツが育ち、そのジュースを発酵させてナタデココを作って、それを売ってみると、わずかなお金しかもらえませんでした。

「おかしいじゃないか。言っていた金額と違う」と村人は訴えますが、「他にもナタデココを作っている人たちが多くいて、値崩れしているんだ。

それに、日本ではブームが去り、それほど売れなくなった」と担当者は言い、「そのことも書類に書いてある」とつっぱねます。

実は、村人たちは書類の字が読めなかったのです。そして、村では食料が手に入らずに、そのままでは餓え死にしてしまうので、都会に移住し始めたのです。

しかし、コネも学歴もない村人たちが就ける安定した仕事はありません。こうして自給自足の暮らしを失った人々が、ゴミ山や川沿い、線路沿いのスラム街に住むようになったのです。

そして、さらに歴史を遡ると、ゴミ山が生み出された背景にも日本が関係しているのです。

ゴミの過去と現在

僕が訪れたのは、マニラ市北西部トンド地区にあるゴミ山です。これができたのは第二次世界大戦が終わった1945年。

日米戦争の戦場となり、爆撃によって廃墟と化したマニラの瓦礫を捨てる場所として、湿地帯だったその地区が選ばれたのが始まりでした。

1990年代初めには3万人以上が、ゴミ山に住んでいるとされましたが、「ゴミ山はフィリピンの貧困の代名詞」と恥じたフィリピン政府がそれをなくそうと、1995年に軍隊と警察によって強制立ち退きを行い、ゴミ山を閉鎖しました。

しかし、これまで捨てられてきたゴミの行き場がなく、結局その数年後に、もとのゴミ山の向かいに、新しいゴミ捨て場が作られました。

しかし以前と同じように、ここでも政府や警察から立ち退きを迫られたのです。

僕がスタディツアーで訪れた場所は、政府からも、警察からも、他のスラム住人からでさえも嫌がられる地域に住まざるを得ない人たちの生活空間です。僕が訪れた当時は1500世帯が住んでいました。

彼らの多くはゴミの中から再生可能なものを見つけ出し、換金することで生計を立てています。そこには換金所、サリサリストア(雑貨店)、カラオケやビリヤード場に、食べ物屋さんまであります。

しかしその一方で、ゴミ山以外の選択肢がなく、ここに生きている人たちがいるのです。

便利さの後ろに、疑問を持つ

僕がスタディツアーに参加した、NGOアクセスの機関紙に寄稿した文章の一部を紹介します。

彼らがやっている仕事は限りある資源を世界に戻す誇るべき仕事だと、頭では理解しているし、家族のために精一杯に仕事をしている彼らを尊敬しているし、何より彼らは僕らの友人だ。

だが、新しく来たトラックが落とすゴミ袋を、嬉々として暴く友を見て、ショックを受けた。これを「誇れる仕事」だとは言えない自分。そして大好きな友人が、子ども達がそれをしている事実…。

少しの間、呆けていた僕を見かねて「一緒に拾おう」と声をかけてくれた。ゴミ袋を裂くと、ウジ虫のついた野菜や果物の皮、ファーストフードのコップやフォーク…自分達がいつも捨てているゴミばかりじゃないか。

彼らは、僕らのような豊かな人間が必要ないと捨てたものを、僕らの代わりに、袋から暴いて生きていた。僕らはそれを知らずに「キレイ」な物ばかり見てる。

手が止まった僕を見て、目が合い、笑う、その笑顔が眩しかった。

出典「スモーキーマウンテンで見てきたこと」『となりのアジア vol.95』

僕らの安くなんでも手に入る生活の裏側では、こうした社会背景がたくさんあり、このフィリピンの例も、ほんの一部です。

そうした見えない社会の問題を知ることができるのは、スタディツアーならではだと思います。

便利さの後ろに、疑問を持つ。目を向ける。もしかしたらそれは難しいことなのかもしれません。

だから、自分の足で踏み込んで、自分の目で見て、肌で感じて、友達を作って…、そして関心が生まれてくるのではないかと思います。

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