私はよく、子どもの朝食に「パンとごはん、どっちがいい?」と聞きます。その日の気分でいつも答えは違いますが、2つの選択肢の中から1つを選ばせる行為は、子育てする上でとても使える「技」のような気がしているのです。

ママにいわれることは、あまりやりたくない。

子どもが大きくなるにつれ、「これしなさい」「あれしなさい」とついつい口うるさくなってしまいます。それは子どもにいろんな希望を託しているからなのでは、と思うのです。「賢い子になってほしい」「強い子になってほしい」いろんな願望がありますよね。

子どもの顔をみていて、あるときわが子はこう思っているのではないか、と思ったのです。

「うるさいなぁ、そんなことは自分で決めるよ」

母の妄想だったかもしれませんが、「そうか、自分で決めたことならすすんでやるかも」と思った私は、わが子に選択肢を与えてみることにしました。

どちらが僕にとって「おいしい」のだろうか?

最初のうちは私自身が「させたいこと」ではなく、日常のささいなことを子どもに選ばせるようにしました。

「今日、サンダルとスニーカー、どっちで行く?」
「録画したこの番組、どっちから先にみる?」

ささいなことからスタートし、じょじょに

「2階のおもちゃ片付けたらすぐに外に遊びに行くけど、家で遊びたいならそのままでいいよ。どうする?」
「ドリル2ページがんばったらアイス食べちゃおっか! しないなら、昨日と同じお菓子にするけど、どうする?」

なかなかせこい誘導尋問のようですが、わが子の反応もさまざまでおもしろいです。

「…… 家で遊ぶ~」(あ、出かけなくていいのね)
「…… 昨日と同じお菓子がいい~」(アイスな気分じゃないのか)

必ずしも、親がのぞんだ答えが返ってくるわけではないことが新鮮です。子どもの優先度が具体的に分かるので、子どもの意思を「決めつける」ことも少なくなりました。

自分で選んだことには文句をいわない。

これまでの経験から、こうして自分で選ばせたことで文句をいうことはほとんどありません。

後から文句が出そうになっても、「!! これは、僕が選んだんだった!」と気付くようです。選んだ言葉の重さ、責任感のようなものが芽生えているのではないか、と思う瞬間もありました。

「自分で判断して、自分で決める」

決断力を育てる…… とまではいかなくても、「考えて選ぶ」準備運動のような役割になっているとうれしいな~と思っています。

野菜が大の苦手なわが子。

夕飯のつけあわせに「ほうれん草とブロッコリー、どっちか食べようね」といったときの「どっちがマシか……」を考える眉間のシワがけわしすぎる……

どんだけ嫌いなんだ! と食事中に吹き出しそうになってしまう母です。

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