「さとうきび畑」は、多くの歌手が歌い、カバーしている曲だが、全盲のテノール歌手・新垣勉(あらがき つとむ)さんほどこの曲がピッタリな歌手はいないだろうと思っている。

私の卒業した大学の前身である「東京キリスト教短期大学」を卒業された新垣さんは、重なってはいなかったが先輩に当たる。音楽家でもあるが、牧師でもある。

「さとうきび畑」 新垣勉

出典 YouTube

2012年にアップロードされたYoutube動画

「さとうきび畑」

第二次世界大戦を通して、沖縄は日本で唯一の地上戦が繰り広げられた。その激戦を極めた沖縄戦を通して、多くの人々が殺し合い、集団自決した。数え切れないほど多くの戦死者・自決者たちが今なお「さとうきび畑」の下に眠っていると言われている。

この曲の作者・寺島尚彦さんは、1972年・日本に復帰する前の沖縄を訪れ、曲の中で66回繰り返される風の音を「ざわわ ざわわ ざわわ」と表現した。

「さとうきび畑」は、ひとりの少女が主人公になっている。少女は沖縄での戦闘で死んだ父親の顔を知らない。やがて大きくなり、ひとりで父親を探しにさとうきび畑に行く。

父はなぜ殺しあったのか、なぜ殺されたのか、なにを恐れ自決したのか。通り抜ける風の音を聞きながら静かに悲しみを訴える。

新垣勉さんも沖縄に生まれ、父親は米軍の軍人だった。1歳の時に両親が離婚、父親は帰国したため、「さとうきび畑」の主人公の少女と同じく、父親を知らないで育った。

出典CD「さとうきび畑」新垣勉 ジャケットより

新垣勉さんの生い立ち

沖縄県中頭郡読谷村で在日米軍人であったメキシコ系アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。出生後まもなく、看護婦の医療ミスによる劇薬の点眼により全盲となる。

1歳の時に両親が離婚し、父親は帰国。母親は再婚したため、母方の祖母に育てられる。その際、祖母を母親と、実の母親を姉と言い聞かされながら育てられた。

その後、自らの境遇を悲観し「将来は両親を殺害して自分も死ぬ」と考え、井戸へ飛び込み自殺を図ろうとするが友人に助けられ、未遂となるなどの少年時代を過ごした。14歳で祖母を亡くし、天涯孤独の身となる。

しかし、そんな新垣さんの心の支えは、ラジオから流れてきた賛美歌であり、賛美歌を聞きたいと教会の門をたたいた。

そこで一人の牧師(城間祥介牧師)と運命的な出会いをする。牧師に彼の今までの人生をすべて語った。 そして牧師は黙って彼の話を聞いていた。すべて話し終わると、新垣さんは牧師が泣いていることに気づいた。

城間牧師は、自分の3人の子どもと同じように新垣さんをかわいがり、牧師の温かい家庭の中に彼を迎えた。牧師の家族と一緒に歌を歌ったりしながら過ごし、彼は心が癒やされていくのを感じた。

牧師との出会いをきっかけに、声楽家と牧師になる事を目指すようになり、沖縄県立沖縄盲学校、東京キリスト教短期大学、西南学院大学神学部専攻科を卒業し、日本バプテスト連盟系教会の副牧師になる。当時は聖歌隊としての奉仕も活発に行なった。

西南学院大学在学中にイタリア人ボイストレーナーのアンドレア・バランドーニに「君の声は日本人にはないラテン系の明るい素晴らしい響きをしている」と賞された。その際、自分の出生について語ると、「辛い体験だったと思うが、それは神様からのプレゼントであり、また君の父親からのプレゼントでもある。君はその声を持つ、たった一人の存在だ。感謝すべきものなんだよ。」と言われ、その言葉で両親を恨む気持ちが癒やされたという。

聖歌隊での実績を元に本格的に歌手活動をしたいと考え売り込みを始めるが、売り込み先から「音大も出ていないのに声楽家を目指すとはおこがましい」と馬鹿にされ、屈辱を受ける。

その後、音楽への思いを貫き、34歳で武蔵野音楽大学に入学、大学院修士課程まで進み修了。チャリティーコンサートなどで歌を披露するようになる。

2001年、49歳の時に寺島尚彦作詞・作曲の『さとうきび畑』で初のCDデビューを果たす。現在、各地でコンサート活動等を行なっており、澄んだ歌声と逆境を乗り越えた半生、ダジャレも含むユーモアに富んだトークなどが人々の共感を呼んでいる。

2004年2月20日には、日本武道館にてチャリティーコンサートを行い1万人を集める。

新垣さんの半生は東京書籍から発行されている。中学2年生用の英語教科書「NEW HORIZON」で「Try to Be the Only One」(オンリーワンであろうと努めよ)という教材として取り上げられた。

(参照記事:wikipediaほか)

「この悲しみは消えない」

子どもの頃、沖縄で多くの一般人が集団自決したと聞き、「人はいつか死ぬのに、なぜ自ら死を急ぎ、選択しなければならなかったのか?」さっぱり分からなかった。

牧師である父親に聞いたところ、「死ぬことより、生きている方がもっと辛い目に遭うからだよ。」と答えたことを覚えている。

たしか私が小学校3年くらいだったかと思うが、「死ぬことより、生きている方がもっと辛いこと」というのがどういうことなのかも、私には理解できなかった。

沖縄戦のことを少し調べると、戦闘の激しさ、犠牲者の数、資料や証言の数々に圧倒させられる。沖縄が持つ悲しみが伝わってくる。今なお、沖縄では当時から引きずる「基地問題」などが消えず、「沖縄は本土を守るための捨て石」「棄民(きみん)」との悲しいイメージや言葉が払拭されずにいる状態である。

「沖縄の人々のために、自分の歌が少しでも慰めや励ましになれば・・・。人々が許し合い、愛し合う世の中になるように、平和のために歌いたい。」

「一人でも多くの方に歌を聴いてもらえて、何かを感じてもらえるなら、自分は生きてきた価値や意味があったと思える。」そう新垣さんは語る。


引用元ブログ:ameblo 牧師の妻です・こころのブログ

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