今から30年前の8月12日、500名以上の方が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故が起きました。今年は、事故から30年という節目の年でもあります。

そこで今回は、どんな事故だったのかを振り返るとともに、遺された遺族の現在について紹介したいと思います。

※事故当時の写真などもありますので、閲覧にはご注意下さい。

事故が起きた日本航空123便

出典 https://ja.wikipedia.org

事故が起きたのは、日本航空のジャンボジェット123便で、東京ー大阪の定期便として運行していた機体でした。

18時に羽田を離陸し、18時56分には大阪に到着する予定だった123便が、なぜ墜落したかについては事件後に様々な説が流れましたが、現在分かっている墜落の原因は以下の通りです。

1985年8月12日、群馬県の御巣鷹の尾根に墜落した日本航空のジャンボ機。機内の気圧を一定にするための圧力隔壁が壊れたことが事故の原因とされました。
 
墜落したジャンボ機は、事故の7年前に「しりもち事故」を起こし、製造メーカーのボーイング社が圧力隔壁を修理していました。

しかし、ボーイング社の修理は、マニュアル通りではない、不適切なものだったのです。

出典 http://news.tbs.co.jp

圧力隔壁とは、客室の気圧を保つための壁なのですが、この部分に穴が開いたために垂直尾翼も壊れ、機体が制御不能となったことが墜落の原因でした。

機体に異変が起き、墜落するまでにはおよそ30分の時間があり、その間コックピットで機長だった高濱雅己さんが懸命に揺れる機体と闘っていた様子が、事故の15年後に公にされたボイスレコーダーの音声で明らかになりました。

最期まで機体を立て直そうとした機長・高濱さん

出典 http://blog.livedoor.jp

機長(墜落27分前)「気合入れろ。ストール(失速)するぞ」

機長(墜落6分前)「がんばれ」
副操縦士「はい」
機長「あたま(機首)下げろ、がんばれ、がんばれ」
副操縦士「コントロールがいっぱいです」

機長(墜落前30秒)「パワー、パワー、フラップ!」
機関士「上げてます!」
機長「あげろ!」

出典 http://www.news24.jp

正直言葉が見つかりません…。

高濱さんをはじめ、クルー達の努力の甲斐無く123便は墜落してしまいました。

乗員乗客524名のうち4名が生存

出典 https://mamorenihon.wordpress.com

墜落直後、まだ息のある人もいたそうですが、情報が錯綜したために墜落現場の特定が遅れ、実際に救助活動が始まったのは墜落から14時間後の翌13日の午前8時半でした。

この対応に関しても、当時大きく報じられ初動の遅さに批判が上がりました。

もし、早い段階で救助していれば助かる命もあったかもしれません…。

この事故で家族を喪った方にとって、事故から今日までの30年はどんなものだったのでしょうか?

遺族の方の声も紹介します。

父を亡くした河原悟さん

出典 http://tanba.jp

河原悟さんは、この事故で父の道夫さんを亡くしています。

歯科医でもある河原さんは、事故後に現場で亡くなった方の身元確認に参加しました。

現地で群馬の歯科医師会から遺体の身元確認作業への協力を求められた。

「初めての体験。惨状に足がすくんだ」。遺体の多くは頭部がなかった。一部だけ残った歯やあごを必死に整え、歯形などを照合した。

出典 http://www.kobe-np.co.jp

「せめて遺体だけでも帰ってきて欲しい」と思う気持ちは、当事者の河原さんも同じでした。

遺体の歯の部分から身元確認をする中、自分の父の遺体とは対面できずにいたのです。しかし…

発見された靴と現地の土を持ち帰り、約2週間後、豊岡市で葬儀を開いた日に「左腕が見つかった」と連絡を受けた。

慌てて現地に戻ると、道夫さんの頭皮の一部も発見。専門家が頭の形に復元した途端、家族が「お父さんや」と声を上げた。「これで連れて帰れる」と、河原さんは感無量だった。

出典 http://www.kobe-np.co.jp

河原さんは、この経験から「警察歯科医」の必要性を訴え、組織の立ち上げに尽力し、現在も身元がわからない遺体を遺族の方にお返しする活動を続けています。

高濱機長の娘・洋子さんの苦悩の日々

出典 http://www.news24.jp

123便の機長・高濱さんの長女・洋子さんは、事故後の壮絶な生活と現在について次のように語っていました。

「『519人を殺しておいて、のうのうと生きているな』とか、たくさん電話がかかってきましたので。その度に母は、見知らぬ嫌がらせの電話にもきちんと応対し、『申し訳ございません』『申し訳ございません』、ただそれだけ何回も繰り返しておりました」

“父を探したい”、だが、昼間の遺体安置所には、多くの遺族がいた。

そのため、ひと気がなくなる夜を待ってから父を探し歩いたという。

出典 http://www.news24.jp

事故直後には、ボイスレコーダーの内容が明らかにされていなかったため、高濱機長が諸悪の根源かのように遺族からは思われていたようです。

そのため、自宅には嫌がらせの電話も…。家族を喪ったのは同じでも、機長の家族ということで遺体の捜索すら人目を憚りながらだったということに、胸が痛みます…涙。

※洋子さんは、機長の家族として今も責任を感じていらっしゃいます。そのため、遺族の方に「私たちも遺族です」とは思っていないと仰っていました。

しかし、前述の通り事故から15年後にボイスレコーダーが公開され、墜落までに高濱機長が墜落回避のために尽力していたことが知られると、遺族の方からこんな言葉をかけられたそうです。

「『本当に最後まで頑張ってくれたんだね』『ありがとう』という言葉を、ご遺族から頂いた時には、本当に胸からこみ上げるものがあって…。涙が出る思いでした」

「父はボイスレコーダーによって、残された私たち家族を、ボイスレコーダーの音声という形で、私たち家族を守ってくれたと感じました」

出典 http://www.news24.jp

真実が明らかになったことで、遺族の方に感謝されたのです。

それまで心無い言葉を浴びせられた高濱機長の家族にとって、このボイスレコーダーの音声は救いになったと言えるのではないでしょうか。

現在、洋子さんは高濱機長と同じ空の仕事である客室乗務員として、日本航空で勤務していらっしゃいます。

身内を事故で喪っているにも関わらず、空の仕事を選んだ理由には洋子さんのこんな思いがありました。

「父の代わりに“空の安全を守っていきたい”。そういう思いでCA(客室乗務員)になりました」

出典 http://news.tbs.co.jp

志半ばで亡くなってしまった高濱機長の遺志を継ぐため、洋子さんは客室乗務員になったのです。

立場は違えど、空の安全を守ろうという強い思いを感じました。


おわりに

出典 http://pps.main.jp

この事故は、国内で最大の犠牲者が出た事故です。

30年経った今、この事故のことを風化させずに、今後の安全に生かすことが求められているのではないでしょうか。

亡くなられた520名の方のご冥福をお祈りいたします。

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