イタリアに住むこと11年。筆者は日本人でよかったと思うことがよくあります。やはりイタリアでも日本人は信用が厚いですし、日本という国もハイテク、経済大国、独特の文化と、プラスイメージが抱かれていることが多いからです。

ただ、とある話題になったとき、「日本人は残虐だ。」「日本人はひどい」という批判の言葉を聞くことがあります。

その“とある話題”とは何か分かりますか?

世界中から批判される日本の捕鯨

答えは“捕鯨”です。

ここイタリアでも日本が捕鯨をしているということは有名です。そして、その事実を多くの人は快く思っていません。絶滅が危惧される動物、しかも頭の良い動物を狩ることがどんな理由であれ理解できないという人が多いのです。

また、日本のスーパーでは簡単に鯨肉が手に入り、日本人の食卓には鯨料理がよく並ぶといった間違った報道がされている場合もあり、それを信じ込んでいる人たちは更に非難してきます。

筆者の親の世代(60代)は学校の給食に鯨肉が出たということは聞いたことがありますが、筆者の世代では鯨肉なんてほとんど見かけたことすらありません。

また、日本の一部の地域で行われているイルカ漁もイタリアでは有名です。捕鯨と同じく、イルカ漁ももちろん非難の対象ですが、実は日本海側出身の筆者、イタリアに来るまで日本でイルカ漁が行われていて、日本でイルカが食されているという事実を知りませんでした。しかし、多くのイタリア人にとっては「日本全国でイルカ漁が行われており、日本人はイルカを食べる。」という解釈につながっているようです。

筆者がまだ語学留学の学生だった頃、学校のクラスには世界各国からの生徒がいたのですが、話題が偶然、日本の捕鯨、イルカ漁になったとき、非難の的となりました。日本の捕鯨、海豚漁はイタリア人からだけでなく、世界中から非難される対象となっているようです。

日本の捕鯨の歴史 捕鯨は日本文化か?

日本では昨日今日捕鯨(イルカ漁)が始まったわけではありません。その歴史は縄文時代にまでさかのぼるようです。

日本における捕鯨の歴史は、縄文時代までさかのぼる。約8000年前の縄文前期の遺跡とされる千葉県館山市の稲原貝塚においてイルカの骨に刺さった黒曜石の、簎(やす、矠とも表記)先の石器が出土していることや、約5000年前の縄文前期末から中期初頭には、富山湾に面した石川県真脇遺跡で大量に出土したイルカ骨の研究によって、積極的捕獲があったことが証明されている。

縄文時代中期に作られた土器の底には、鯨の脊椎骨の圧迫跡が存在する例が多数あり、これは脊椎骨を回転台として利用していたと見られている。

出典 https://ja.wikipedia.org

また、江戸時代には捕鯨産業も栄え、鯨の製品は日本人の生活に根付き、捕鯨で生計をたてる人も多かったことが、以下の文からも分かります。

江戸時代の鯨は鯨油を灯火用の燃料に、その肉を食用とする他に、骨やヒゲは手工芸品の材料として用いられていた。1670年(寛文10年)に筑前で鯨油を使った害虫駆除法が発見されると[4]、鯨油は除虫材としても用いられるようになった。

天保三年に刊行された『鯨肉調味方』からは、ありとあらゆる部位が食用として用いられていたことが分かる。鯨肉と軟骨は食用に、ヒゲと歯は笄(こうがい)や櫛などの手工芸品に、毛は綱に、皮は膠に、血は薬に、脂肪は鯨油に、採油後の骨は砕いて肥料に、マッコウクジラの腸内でできる凝固物は竜涎香として香料に用いられた。

出典 https://ja.wikipedia.org

江戸時代における捕鯨の多くはそれぞれの藩による直営事業として行われていた。鯨組から漁師たちには、「扶持」あるいは「知行」と称して報酬が与えられるなど武士階級の給金制度に類似した特殊な産業構造が形成されていた。捕獲後の解体作業には周辺漁民多数が参加して利益を得ており、周辺漁民にとっては冬期の重要な生活手段であった。

捕鯨規模の一例として、西海捕鯨における最大の捕鯨基地であった平戸藩生月島の益富組においては、全盛期に200隻余りの船と3000人ほどの水主(加子)を用い、享保から幕末にかけての130年間における漁獲量は2万1700頭にも及んでいる。また文政期に高野長英がシーボルトへと提出した書類によると、西海捕鯨全体では年間300頭あまりを捕獲し、一頭あたりの利益は4千両にもなるとしている。

江戸時代の捕鯨対象はセミクジラ類やマッコウクジラ類を中心としており、19世紀前半から中期にかけて最盛期を迎えたが、従来の漁場を回遊する鯨の頭数が減少したため、次第に下火になっていった。また、鯨組は膨大な人員を要したため、組織の維持・更新に困難が伴ったことも衰退に影響していると言われる。

出典 https://ja.wikipedia.org

以上のようなことを踏まえて考えると、捕鯨は日本人にとって一つの文化なのではないだろうかとも思えてきます。

しかし、現在、鯨の数が減ってきているの事実。絶滅が危惧される動物を“研究のため”、“文化だから”といった理由で狩るというのも、何か間違っているようにも思えます。

それぞれの国にあるそれぞれの食文化

それぞれの国にはそれぞれの食文化があります。

例えば、一時イタリアや日本のニュースでも騒がれていた中国や韓国の犬食文化、中国やベトナムの猫食文化。それぞれの国や地域の歴史や文化も知らずに、非難するのは正しいことでしょうか?

イタリアに来てビックリしたのは、イタリアではウサギの肉がスーパーや肉屋で普通に売られていることです。イタリアではウサギを食べるのです。日本人にとっては犬や猫同様、ペットとして親しまれているウサギ。イタリアのウサギ食文化も非難されるべきでしょうか?

どこの国にも何かしら独特の料理があると思うのです。それを動物虐待と取るか、食文化と取るかは、生まれ育った国によって変わってくるのではないでしょうか。

「○○を食べるのは野蛮」と決め付けることへの疑問

日本もイタリアもそうですが、毎日の生活が食べ物であふれています。食べ物がなくて辛い思いをしている人と言うのは、日本やイタリアといった国ではほんの一握りの人たちでしょう。

むしろ、賞味期限の切れた食品はまだ食べることが可能でも廃棄されます。「もうお腹いっぱいだから、いらない。」と食べ物を残すことができます。「かわいそうだから。」「頭のいい動物だから。」「数が少ないから。」といった理由で動物を狩らない、食べない選択というのが私たちにはあります。

しかし、もし、毎日の食料もままならない場所に生まれ、生活するとしたら…、何日も何も食べていない日が続いたら…、目の前にいる動物を「かわいそうだから食べない。」と私たちは言うでしょうか?



全ての動物に命があります。牛、豚、鶏、鯨、犬、猫、魚…植物にだって命があります。私たち人間も命があります。その命を維持するためには、他の命をいただかなくてはなりません。“食べる”という行為は、人間だけでなく他の動物たちにとっても生きていくうえで必須のことです。だから筆者としては動物を食べることが悪いという考えはありません。また、上にも書いたように、幸い日本人やイタリア人などは“食の選択”ができる環境に多くの人があります。だから、「私は動物の肉を食べない」と決めた人がいてもいいと思います。

ただ、それぞれの国や地域の文化や歴史を理解しようともせず「この動物を殺すのはおかしい。」「この動物を食べるなんて野蛮だ。」と決めつけるのは、少し違うのではないでしょうか?

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2004年よりイタリアはフィレンツェに住んでいます。
イタリア人の夫と黒猫1匹との生活。
日本語講師としてイタリア人に日本語を教えています。
魅力的なイタリア、不思議なイタリア、海外から見た魅力的な日本、不思議な日本を中心にお伝えしていきます。

普段のイタリア生活についてはアメブロに書いています。
http://ameblo.jp/firenzefungo/

トスカーナ、フィレンツェ観光に関してFirenze in Tascaというトスカーナ、フィレンツェ個人旅行サポート会社のサイトにて記事を執筆中。
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