うのたろうです。
ときは西暦2015年――というのがぼくらが今生きている現在です。
ではこの西暦というのはどんな基準なのでしょうか?

西暦とは単純にキリスト教の主であるイエス・キリストが誕生した年からかぞえて2015年目ということになります(もっとも西暦自体はのちの人間がさまざま
なことがらからキリストの誕生日を逆算してその年を西暦元年にしようと定めたためのちにずれが生じてしまっている――キリストは本当は紀元前4世紀以前に生まれていたそうです)。

と、まあ。
ぼくらが生きている世界というのは、毎日目にするこんなあたりまえのことひとつをとってもとかく宗教が絡んでいます。

もっともわれわれ日本人は、クリスマスを恋人と祝って大みそかに友人とお酒をのんで除夜の鐘を鳴らしにいき、正月に実家に帰り家族といっしょに神社にいくという節操のなさをあたりまえにおこなっているため、こういった一神教についてはあまりなじみはありません。

「信じるものは?」といわれたところで、せいぜい自分か家族かお金か愛か学歴くらしか頭のなかには浮かびません。きっとあんまり神様なんてワードはポンと浮かんでこないでしょう。

しかし。
世のなかにはさまざまな宗教があり、その神様を絶対のものとし信じ生きている人たちが大勢います。というより、そういった人たちの方が大多数ですよね。教会で洗礼を受けたり、メッカにむかって膝をついて祈ったり……そんな世界があたりまえにあるのです。

とういわけで。
本日は、そんな宗教のお話し。

ジャイナ教って知っていますか?

ぼくら日本人のちゃんぽん無神教はおろか、キリスト教やイスラム教よりもずっとずっと厳しくきつい宗教です。そんなジャイナ教について本日はご紹介いたします。

まだ見ぬ世界への扉をあけて見てみましょう……

ジャイナ教とは?

ジャイナ教はインドの小さな宗教です。
統計上ではインドの総人口の0.4%(約450万人)がジャイナ教徒といわれていますが、実際のところインドでは宗教を厳密に分類することが難しいためはっきりとした数字がだせないというのが現状です。
したがって予想されるジャイナ教徒の数は300万人~1200万人というようにかなり幅のある数字になっています。

ジャイナ教の起源は?

そんなジャイナ教ですが、いったいどこからその歴史はスタートしたのでしょうか?

ジャイナ教のスタート地点は紀元前6世紀よりもさらに昔マハーヴィーラ(Mahāvīra)というひとりの男性がいたことから始まります。
彼はマガダ(現ビハール州)のバイシャーリー市近郊にあるクンダ村にてクシャトリア(王族)出身として生まれたナータ族の男性で、父親の名はシッダールタといい母親はトゥリシャラーといいます。

マハーヴィーラは本名「ヴァルダマーナ」(Vardhamāna、栄える者)といい、これは仏典ではニガンタ・ナータプッタ(nigaṇṭha nātaputta, निगण्ढ नातपुत्त)という名前で記載され六師外道のひとりとしてかぞえられています。

ちなみに六師外道とは釈迦在世時代の代表的な自由思想家たちの総称です。

ジャイナ教の創世の歴史

そんな六師外道のひとりであるヴァルダマーナは30歳で出家します。そしてインドに古くからある宗教上の一派・ニガンタ(束縛を離れた者)派で修行をします。

苦行のなか12年ときがたち、ヴァルダマーナは真理を悟ります。そして12代目の「ジナ(Jina)=勝利者」になるのです。
その後ヴァルダマーナはニガンタ派の教義からジャイナ教を確立し30年間遊行しながらその教えを説きます。「ジナの教え」だからジャイナ教。これがジャイナ教のスタートです。

以来、彼は「偉大な勇者」という意味の「マハーヴィーラ」という尊称で広く知られるようになりました。そして72歳のときパータリプトラ(現パトナ)市近郊で彼は生涯をとじることになったのです。

そんなジャイナ教の聖地はシュラバナ・ベラゴラ山のジャイナ教寺院とされ、教徒たちは12年に一度、この地で盛大な祭りをおこなうといいます。

ちなみに。
日本では神戸に唯一、ジャイナ教の寺院があります。

ジャイナ教の特徴は?

ヴァルダマーナが説いたジャイナ教。
その基本は「相対主義」「断定の回避」です。

相対主義とはアネーカーンタ・ヴァーダ(anekaanta-vaada)といい「真理は多様にいいあらわせる」というヴァルダマーナの考えかた。
そして断定の回避は、そんな考えのもとものごとに対して一方的な断定を避けるということです。

具体的には「これである」「これではない」などといった強い言葉――断定的な表現を使わないということが基本になってきます。
その代わりにジャイナ教では「ある点からすると(スヤート=syaat)」という限定的な言葉を文頭につけることを徹底しました。


ある点からすると、これである――
ある点からすると、これではない――


こうすることによりこの言葉はさまざまな可能性のうちのひとつの解答でしかないというニュアンスになります。つまり「真理を多様にいいあらわしている」うちのひとつというわけです。これが「スヤード・ヴァーダ(syaad-vaada)理論」です。

この考え方からジャイナ教徒を「スヤード・ヴァーディン(syaad- vaadin)」と呼ぶこともあります。

つまりジャイナ教は、相対主義を思想的な支柱としているといえるのです。この考え方はインド思想史上重要な位置を占め、後世において「不二一元論(ヴェーダーンタ学派)」「二元論(サーンキヤ学派)」、また「無我論(仏教)」などと対抗することになります。

そんなジャイナ教ですが、「相対主義」や「断定の回避」以外にもさらに大きな特徴があります。それは……

「三宝」と「五誓戒」

三宝五誓戒というものです。
ジャイナ教では「三宝」を重視したうえで「五誓戒」という宗教生活上の厳しいルールが設けられています。

この「三宝」というのは読んで字のごとく三つの宝。ジャイナ教ではこれを宗教生活の基本的心得とし「トリ・ラトナ=tri-ratna(三つの宝)」と呼び重んじています。その3つとは……


1.ただしい信仰
2.ただしい知識
3.ただしいおこない


そのなかでモークシャ (解脱)を目的としておこなわれる宗教生活上でもっとも重要なのは3番目の「ただしいおこない」だとされています。

ではいったい、ただしいおこないとは、どんなことなのでしょうか?
ひとことでいえば「戒律に従い、ただしい実践生活を送ること」ということです。では、その「戒律に従った、ただしい実践生活」とはいったいどのような生活なのでしょうか?

「五誓戒」について

それには五誓戒について知らなければいけません。「五誓戒」とは修行生活に関する5つの規定のことです。ようするに「三宝にしたがったうえで、修行者はこれをしてはいけない」という決まりごとというわけです。学校でいうところの校則のようなものでしょうか。出家者のための五つの大誓戒「マハーヴラタ(mahaavrata)」が基本になります。その5つとは……


1.生き物を傷つけないこと(アヒンサー)
2.虚偽のことばを口にしないこと
3.他人のものを取らないこと
4.性的行為をいっさいおこなわないこと
5.なにものも所有しないこと(無所有=「アパリグラハ(aparigraha)」


※また在家者は同項目の五つの小誓戒(アヌヴラタ、aNuvrata)も守らなければいけません。

1、2、3の「生き物を傷つけない、ウソをいわない、他人のものを奪わない」といったものは他宗教でも見られるべたなルールです。
しかし、ジャイナ教のルールはそれだけではありません。ほかに「性行為をおこなわない、なにも所有しない」などといった独自の厳しいルールがくわわり、他の宗教などとくらべてずっとストイックな宗教なのだという印象を受けます。

しかしそれだけにとどまりません。ストイックさはいわばジャイナ教徒にとっては至極当然であたりまえのこと。このルールのなかでもっとも重要なのは、そんなものではなく「アヒンサー」。1の生き物を傷つけないことという「不害」の掟です。

ストイックさよりも重要なそのアヒンサーという不害のルールは、いったいどんなものなのでしょうか?

「アヒンサー(不害)」というルールについて

ジャイナ教ではあらゆるものに生命を見いだしています。
動物、植物はもちろん、地・水・火・風・大気にまで霊魂(ジーヴァ)の存在を認めているのです。

そのためあらゆる場面で細心の注意を払うことが必要とされ、宗派によっては空気中の小さな生物も殺してしまわないように白い小さな布きれで口を覆うということまでするほどです。

もちろんジャイナ教徒にとってのアヒンサーは、このような身体的行為だけを禁止したものではありません。「人を身体的に傷つけてはいけない」ということはもちろんとして、ジャイナ教ではなんと言語的行為心理的行為も禁止されているのです。

言語的行為・心理的行為の禁止。それはつまりそれはどういうことか? 具体的には……


◎.人を傷つける言葉をいってはいけない
◎.心のなかでも他者を傷つけるようなことを思ってはいけない


当然のように「おまえ、嫌い」と面とむかって直接いってはいけないし「こいつ、嫌いなんだよな」と心のなかで思うこともゆるされないということです。これがアヒンサーの基本であり、アヒンサーの厳しさなのです。

「アヒンサー(不害)」についてのエピソード

そんなジャイナ教のアヒンサーについてよくわかるエピソードがトマス・ブルフィンチの著書に記されています。

そのエピソードとは「イエズス会の伝道師たちが、ジャイナ教徒たちに普段飲んでいる水を顕微鏡で見せた」というものです。
それを見たジャイナ教徒たちは驚きました。顕微鏡にうつった水にはたくさんの微生物があふれていたからです。

そして、生き物を傷つけてはいけない――その教えを守りジャイナ教徒たちはその後いっさい水を飲むことをやめてしまったのです。アヒンサーの掟を破り生き物を傷つけるくらいならば、自分が衰弱して死んでいくことを選んだというわけです。

さらに別のエピソードでは「出家者は路上の生物を踏まぬようにほうきを手にする」というものもあります。これは自分が座るまえにその場を払うための道具としてほうきを持ち歩いていたというものです。
理由は「座る場所にいる生き物を傷つけてしまわないように」ということです。こういったエピソードからもアヒンサーの徹底ぶりがわかると思います。

またジャイナ教徒はアヒンサーの考えから「動物に襲われたときにも自衛のために動物を傷付けてはいけない」とされています。
アヒンサーを忠実に守るためには、そういった場面で死を覚悟しなければならないということです。もっとも、これは現世の身体は不浄のものなので、そんな肉体に執着してはならないという考え方に裏打ちされていることでもあります。では……

ジャイナ教徒の食生活は?

そんなアヒンサーという考え方をもっとも重要視しているジャイナ教徒は、いったいどのような食生活を送っているのでしょうか?

「生き物を傷つけてはいけない」という決まりがあるため、ジャイナ教徒はその食生活もストイックでかなり厳しいものだったようです。それもそのはず生き物を傷つけてはいけないということは、基本なにも食べてはいけないのです。

そのためアヒンサーを守るための最良の方法は「断食」ということになっています。マハーヴィーラも断食を続行した末に死んだとされていて、この行為はサッレーカナー(sallekhanaa)と呼ばれ尊ばれています。このサッレーカナーこそが、ジャイナ教徒にとってもっとも理想的な死に方なのです。

しかしながらこの「断食死」をゆるされるのはジャイナ教徒でも段階的な修行を終えた出家者・信者のみということになっています。そのため通常のジャイナ教徒が食事をとることは当然あります。

しかしその食事は生物の分類学上できる限り下等なものを摂取すべきとし、それを守っているのです。また球根類は植物の殺生につながるため厳格なジャイナ教徒は口にしないということでも有名です。

ジャイナ教の宗派について

そんなジャイナ教には大きく2つの宗派があります。
それが「白衣派(びゃくえは)/シュヴーターンバラ(svetambara)「裸行派=空衣派(くうえは)/ディガンバラ(digambara)です。おもな違いは読んで字のごとく。


白衣派……僧尼の着衣を認めている
裸行派……僧尼の着衣を認めていない


僧尼の着衣を認める白衣派に対し、それは無所有の教えに反するとして裸行の遵守を説くというのが裸行派というわけです。

白衣派と裸行派の違いは他にもあります。
それは解脱の問題。白衣派は男女ともに解脱することができますが、裸行派は裸行のできない女性の解脱を認めていません。

持ち物に関しても白衣派は行乞に際して鉢の携帯を認めています。
しかし裸行派ではこの鉢の携帯もやはり無所有の教えから認めていません。

もっともこういった実践上の違いはありますが、教理上の違いは2つの宗派にはありません。そういった意味ではジャイナ教はスタンス以外に隔たりのない宗教だといえるでしょう。

以上のことを総合すると「白衣派は寛容主義に立つ進歩的なグループ」であるといえ「裸行派は厳格主義に徹する保守的なグループ」であるといえます。

この2つの宗派の分裂は1世紀ころに起こったと伝えられています。
その後、中世になりイスラム教徒がインドに侵入してきた際、ジャイナ教は仏教同様の大打撃を受けました。しかし、そこで伝統が途絶えることはありませんでした。むしろジャイナ教はこれを機により細かなさまざまな宗派に分岐していくことになります。

そんな経緯もあり現在のジャイナ教は、白衣派・裸形派 ともに多くの分派が派生しています。

現在のジャイナ教での歳大勢力は白衣派の尊像崇拝派(ムールティプージャカ)。さらにこの尊像崇拝派はよりこまかいガッチャと呼ばれる分派にわかれています。

現在のジャイナ教について

以上のことからさまざまな宗派に分岐したジャイナ教徒ですが、彼らが住む場所は宗派によって異なります。現在ではグジャラート、ラージャスターン両州、ムンバイ(ボンベイ)などには白衣派が多く見られます。

この白衣派はさらに2派に分岐します。
それは寺院で尊像を礼拝する「デーフラーバーシー(dehraavaasii)派」と、寺院での尊像をおこなわない「スターナクバーシー(sthaanakvaasii)派」です。

次に裸行派ですが、こちらはほとんど南インドに集中しています。その他の分布地はマディヤ・プラデーシュ州に多少見られるといったていどです。

裸行派は「テーラーパンティ(teraapanthi)」「ビスパンティ(vispanthi)」の2派に分岐しています。もっともこの2つの宗派にはほとんど違いがありません。せいぜい生活儀礼上でのわずかな相違といった程度なので、ほとんどおなじ宗派と思って間違いありません。

またジャイナ教徒は日常生活において、当然ながら仕事をしています。
しかし彼らは宗教上の理由から殺生を禁じられているため商業関係の職についている場合がほとんどです。例外としてはカルナータカ州にわずかに農民がいるといったていどです。商才に長けたジャイナ商人といえば耳にしたことがある方も少なくないのではないでしょうか?

他にもインド社会でのジャイナ教徒の結束はきわめて固いものであるため、婚姻も多くがジャイナ教間だけでおこなわれるというのが大きな特徴だといえるでしょう。

まとめ

まとめ
インドといえばすぐに思い浮かぶのが仏教ですが、じつはこんな宗教もあったというから驚きですね。

とくに「殺生をするくらいなら自分の死を選ぶ」などというストイックさは現代に生きる甘ったれなわれわれの耳と胸に痛い選択です。

ぼくは大多数の日本人とおなじでひとつの神への信仰心など持っていません。
おそらく今後もいいかげんな形でクリスマスには恋人とデートをし、年末に友人とお酒を飲み除夜の鐘を鳴らし、新年には実家に帰り神社にお参りにいくことでしょう。

ですが、そんないいかげんなぼくでも他人を傷つけないことを最優先に考える優しく厳しいジャイナ教にはちょっぴり心ひかれます。
まあ、女性とベッドで抱きあえないっていうのなら入信する気持ちには始めからなりませんけどね。

どうにもこうにも俗っぽくていけません。神様に仕える身には、ぼくはまだなれないようです。

ストイックを極めたジャイナ教。すべての人にやさしくするため、愛する人を抱きしめられず、どんなものも持ってはいけない。それはとても自分自身に厳しいルールで、だけどとても他人に優しいルールでもあり……

自分を殺し、他人を生かす。
あなただったら、どうしますか?

うのたろうでした。

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きてくれた、すべての人を、愛しています。
【twitter】@unotarou

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