悪いことをしたり他人に迷惑をかけたら、きちんと謝罪する。そんな当たり前のことが今、教育現場や家庭では教えられていない現実。あなたは信じられますか?

その事件が起こったのはもう五年前になります。現在、中学3年になる息子が小学校4年の出来事でした。学校から帰宅した息子が肩を痛そうに押さえているので、どうしたのかと訊いたところ、「階段を走って降りていたところ、下からやはり走ってきた男の子と衝突した。

そのときに肩を激しくその子にぶつけて痛くなった」ということでした。当時はさほど大事だとは思わず、事態を深刻に受け止めていませんでした。しかし、息子があまりに痛がるため、整形外科に連れていきました。帰宅した主人から診断結果を聞いた私は愕然としました。

息子は肩の骨を骨折、全治三ヶ月の重傷を負っていました。

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かすり傷程度なら笑って済ませることもできましたが、流石に骨折ともなれば、黙っていることもできません。すぐに学校に連絡して、担任教諭に事の次第を伝えました。先生から当時の事故が起きたときの状況を再度聞いたところ、息子の話とさほど変わりはありませんでした。

もっとも、学校側も当事者二人の子どもから話を聞き、それを保護者にそのまま伝えているのですから、子どものと学校側の説明が同じなのは当たり前です。二人の子どもの話もほぼ一致していることから、どちらも正直に状況説明をしているのであろうことも判りました。

息子と衝突した相手のお子さんは無傷でした。そのこと自体は、とても良かったと思います。ですが、借りに悪意はないにせよ、子ども同士が正面衝突して大怪我をしたのです。

私が仮に相手の子どもの母親であれば、当日のうちに謝罪の電話を入れた上で、直接お宅に伺って子どもに頭を下げさせるくらいのことはしたであろうと思います。確かに、その日の夜、向こうから電話がかかってきはきました。ところが、です。

そのお母さんから飛び出した言葉に私は耳を疑いました。

その母親は私にこう言ったのす。「両方ともが走ってはいけない廊下を走っていたのだから、二人とも校則違反です。二人共に責任があるのだから、ウチの子は悪くないですよね? ウチの子が悪くないのは判ってますが、先生からお宅のお子さんがケガをしたと聞いたので、一応、電話しました。ケガの具合はどうですか? ウチの息子のせいじゃないですけど、やはり気になります」

皆さん、この科白を聞いて嘘だろうと思われるかもしれません。しかし、すべて本当のことです。そのお母さんは、何度も「ウチの息子は悪くない」を連発し、挙げ句には「二人ともに悪かった」と言いました。

確かに、相手の言い分には一理はあるかもしれません。廊下は道路と同じですから、走ってはいけない場所です。その廊下を走っていた二人ともに非はあります。

ただ、同じように走っていて衝突し、片方は無傷で片方は骨折した―、良識のある人であれば、わざわざケガをさせた子の家に電話して「ウチの息子は悪くない。どちらも悪いんですよ」なんて言わないでしょう。

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そのときの私には、相手のお母さんが「謝罪するため」というよりは「自分の息子は今回のケガについては責任がない」ことを伝えたいがために電話をかけてきたようにしか思えませんでした。

実際、お母さんからは最後まで一度として「悪かった」という言葉はなく、ただ「お宅の息子さんのケガにウチの息子は関係ない、我が子は悪くない」という正当性を主張するばかりのものでした。

結局、我が子は事故当日は「痛い、痛いよ」と半泣きの状態で、夜通し横にすらなれず眠れないほどの激痛に苦しんだのです。側についている親の方が何もしてやれず、もどかしい思いになりました。

息子は翌日からギプスをはめて登校するかたわら、通院もしました。ギプスを装着しているため、制服が着られず、やむなく私服のカッターシャツを羽織るような恰好で通学させましたが、内気な息子は「目立つから、恥ずかしい。早く治ってギプスを取りたい」と口癖のように言っていました。

そのケガが治ったのは本当に医師の診断どおり、三ヶ月後で「全治三ヶ月」でした。ただ、若いだけ治りも早いけれど、一度損傷した箇所は他の部分よりは脆くなっているため今後もぶつけたりしないように要注意だと言い渡されました。

これだけの怪我であったとしても、向こうのお母さんはまだ「ウチの子は関係ない」と言うのでしょうか?息子の怪我が完治した後も、やりきれない思いは残ったのです。

この事件の一年前、実は似たような出来事が起きています。3年生の時、息子は一度、酷いケガをしていました。というのも、教室で他の男児と女児かふざけあってペンを投げ合っていた最中、そのペンが部外者の息子の目を直撃したのです。

そのときも「眼球打撲」というかなり深刻な怪我をしました。治りが悪ければ視力低下にもなり得ると眼科医からは宣告されたものの、幸いにも順調に回復し後遺症は残りませんでした。

当時、事故当日に担任教諭から連絡があり「相手のお母さんがどうしても謝罪したいと言われています。ご自宅にまで伺うと言われたのですが、それもどうかと思いまして、学校で行うことになりました」―。そのため、私と主人が学校に行きました。

夜、校長室で相手のお母さんと男の子が待っていました。「本当にウチの息子が取り返しのつかないことをしまして、申し訳ありませんでした」お母さんは目を真っ赤にして頭を下げられ、ついで、お子さんも「ごめんなさい」と謝ってくれました。

そこまでの誠意を見せて下さる方を前にして、私はもう何も言うすべはありませんでした。後に、そのお母さんは我が家の末娘が通う保育園の保育士だと知りました。やはり、幼い子を教え導く立場の方だけはあると頭の下がる思いがしたものです。

なので、4年生になって息子がまたも肩を骨折するというアクシデントに見舞われたときは、やはり、この二人のお母さんの対応の違いには考えさせられるものがありました。

私がここで一番気になったのは、実のところ、学校側の対応でした。3年生のときは相手のお子さんの保護者から依頼があり、相手側の子どもの名前がこちら(怪我をした側)に明かされましたが、4年生のときは最後まで明らかにはなりませんでした。

電話をかけてきたときの「ウチの子は悪くない」宣言を見れば、お母さんが名前を明かしたがらなかったというのは当然かもしれません。怪我をした側の子の保護者として、せめて名前くらいは知っておきたいと先生に訴えても、「学校側の責任ですから」と言われました。

最近は、小学校だけでなく、保育園幼稚園ともに同じ方針のようです。保育園でも、息子でなく娘が同じ園の友達に軽い怪我を負わされたことがありましたが、そのときも保育士は「怪我をさせた子どもが悪いのではなく、子どもにそのようなことをさせた担当の保育士が悪いのです」と言いました。

しかし、本当にそうなのでしょうか?

確かに、安全であるべき教育の場、学校や園でそのような事故が起きたのは先生・保育士の監督不行届きといえるかもしれません。ただ、一理はあるとはいえ、その考えは根本的に間違ってもいると私は思うのです。

「悪いことをして相手に迷惑をかけたら、きちんと相手に向かって謝罪する」。それは人間として当然の行いであり、人として生きていく上で守るべき最低限のルールでないでしょうか。

たとえ、両方が廊下を走っていたのだとしても、自分がぶつかって怪我をした相手に
「ごめんなさい、大丈夫?」のひとことが言えない、言う必要がない。保育園でも、子ども同士のケンカで一方が怪我をしたときには、怪我をさせた子どもではなく、代わりに保育士が謝罪するそうです。

中には「ウチの子が怪我をさせられた」と苦情を言う保護者もいます。その度に当事者に成り代わり、「ごめんなさい」と頭を下げるのは保育園の先生で、相手側には加害者の子どもの名前さえ教えないとのことでした。それがまかり通るのが現在の日本の教育現場なのです。

この事実を知ったときには、驚いたというよりは相当の衝撃でした。学校や園で起きた事故については教諭や保育士が全責任を負うのは当然かもしれません。ただ、学校は教育の場であり、教育の最たる目的は子どもの心身の健やかな成長を助け良識ある社会人へと教え導くことであると考えます。

そのためには、「悪いことは悪いこと」、「誰かを傷つけたり迷惑をかけたら、心から謝罪する」、そういう人としての当たり前のことを子どもたちに教えてあげる必要性があるのです。

正直言って、悪いことをした子どもを「監督不行届ゆえの教師の責任」であるという隠れ蓑的な言い訳で庇う方針には賛成できません。それでは、悪いことをした子どもは自分がしたことの重大さを自覚できず、いつまでも「自分は悪くない」と思い込んでしまうからです。

我が家でも、娘が小学生の時、図工の時間に他のお子さんの指を傷つけてしまったことがありました。相手は男の子で、娘が彫刻刀を使うのがあまりにも下手だったため、見かねて手伝ってくれたそうです。

いわば、男の子らしく困っている女の子を助けてくれようとしたわけです。そのときは私と主人で娘を連れて、菓子折を持参して、そのお子さんのお宅を訪ねました。まず親が謝罪し、娘にもきちんと謝らせました。

ですが、別のご家庭であれば、「どちらも悪くないのだから、責任はなく謝る必要はない」ということになるのかもしれません。

終わりに~子どもたちの明るい未来のために~

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現在は国際社会であり、日本人も海外に出て活躍する時代です。今の子どもたちが大人になった頃は、もっと国際化が進んでいることでしょう。

よく海外での日本人の行動が外国で呆れられたという話も聞きますが、やはり、世界に通用する常識人を育成するには、日本の教育の最も基本的な単位である学校、更には家庭での教育が必要なのではないでしょうか。

難しい学問や語学も大切だけれども、「人として、してはいけないこと」は何なのか、「人に迷惑をかけたら謝る」、そういった基本的項目をまず教えなければならないでしょう。

他人の痛みを知る、理解できる子が育ってゆけば、国際社会で活躍云々という前に、「カッとなって」「興味本位で」人を殺したという痛ましい悲惨な事件などもなくなるのではないかと思います。今の日本の子どもたちに最も必要なのが「心の教育」だと考えるのは私だけなのでしょうか―。

今回の記事は、難しい教育論や有名人の言葉を紹介したり述べたりしたものではありません。ただ、四人の子どもを育ててきて、現在も子どもを学校に通わせている一人の母親としての経験から、心にある想いと願いをありのままに書かせていただいた次第です。
―心も体も健やかな子どもに育って欲しい。

そして、我が子だけでなく、どの子も明るい笑顔で毎日を暮らしてゆける社会になることを願ってやみません。

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フリーライター。ウェブ小説を書いています。2013年、「歴史浪漫文学賞」において最終選考通過。入賞候補作品「雪中花~とりかえばや異聞」書籍化。洋の東西を問わず、歴史が大好き。自称【歴女】です。韓流時代劇に夢中。そのほかにも美容・天然石アクセサリー作りなどに興味があります。
ブログのURL http://ameblo.jp/megumi3777/

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