目を覆いたくなる画像が飛び込んでくる

FacebookやTwitterなどのSNSをしていると、突如として、目を覆いたくなる画像が飛び込んでくることがある。

よくあるのは、

・虐待された動物(犬や猫)
・奇形の子ども
・戦場で命を失った、また、負傷した人たち

といったところだ。

たとえば映画なら「R-15」指定が付きそうだし、テレビなら特にゴールデンタイムでの放送を自粛するだろう。

重いテーマに向き合うには心の準備が必要

もちろん、そういった現実から目を背けてばかりいることが良いとは思わない。動物虐待に関しては、ペットを飼う責任について子どもたちにも教育しないといけない分野だと思う。

とはいえ、そのような画像を急に見せられると、やはり心が動揺するものだし、当然のことながら良い気分にはならない。そういった重いテーマに向き合い考えるためには、それなりに心の準備が必要だ。

せめて、【閲覧注意】といったフラグを立てて、画像はその先でしか見られないような配慮があって良いと思う。

ある「ボランティア募集広告」が話題に

2年ほど前、ある「ボランティア募集広告」が話題になった。

シンガポールの広告代理店が制作した社会問題救済に関する広告がこのポスター。「いいね!では救えない」というキャッチコピーと、周りを取り囲むあの親指ポーズが全てを物語っています。(※親指ポーズはPhotoshop加工で写真に加えられたもの。)TwitterやFacebookでのポストやRetweet、いいね!によって状況を伝えること/知ることは、救済への大切な1歩であることは間違いないでしょう。しかし、それはあくまでも救済「へ」の1歩であって、救済そのものではないということです。いいね!だけでは救えないことが世の中にはある。

デジタルだけで済んだ気になるのは、これに限らず現代社会の問題の1つと言えるのではないでしょうか。

出典 http://www.gizmodo.jp

社会に対する責任や使命感を果たしたような錯覚に

この広告について、Twitter上には、このような意見が上がった。

「伝えること」「知ること」が救済への第一歩であることには異論はない。しかし、それだけでは何も変わらないことも事実だ。結局は、誰かが動かないといけないのだが、「いいね!」やシェアをする人の心には、「誰かが解決してくれたらいいな」という他力本願的な思いがあるのではないだろうか。「回ってきたボールをとりあえず空中に放り投げていれば、いつか誰かがそのボールをつかんでゴールを決めてくれる」。そんな感じで。

また、「いいね!」やシェアをしたことだけで、社会に対する責任や使命感を果たしたような錯覚に陥っているのかもしれない。

SNSによって享受できるメリットは多い。しかし、そこには必ず負の側面があるもの。個人が簡単に発信できるからこそ、そこに想いや熱量が伴わなければならないと思う。そうでないと、ネットの世界と現実の世界との温度差がどんどん大きくなっていくだけだろう。どれだけネットで盛り上がっても、現実世界で行動を起こさないと世界は変わらない。

たくさんすぎるほどの情報を得られるようになった今、それらを入手した僕たちは、次にどんなアクションを起こすべきだろうか。まさに、そこが問われている。

この記事を書いたユーザー

marlgoro このユーザーの他の記事を見る

公式プラチナライター。ライター歴、約10年。現在、関西を拠点に活動中。大のテレビっ子です。たまに、ちゃんと取材した記事も寄稿しています。

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス