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去る7月11日に、任天堂の社長・岩田聡さんがお亡くなりになりました…。

突然の訃報に驚いている方も少なくないと思います。岩田さんは、任天堂だけではなく日本のゲーム界の一時代を築き上げたと言っても過言ではありません。

そこで今回は、岩田さんの生前の仕事ぶりや名言を振り返りつつ、追悼のコメントを紹介したいと思います。

任天堂へ入社するまで…

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岩田さんは、新卒で任天堂へ入社したわけではなく、最初に入社したのはHAL研究所というソフトウェアの開発を行う会社でした。

学生時代からアルバイトとして勤務し、大学卒業後はプログラマーとして入社したのです。しかし、あくまでもプログラマーとして勤務しており、経営に携わる立場ではありませんでした。

このHAL研究所時代に開発した任天堂のファミコンソフトで遊んだ方も少なくないのでは?

どんな作品の制作に携わっていたか見てみましょう。

"ゴルフ"のボタンをタイミング良く3回押す"チャー・シュー・メン"のシステムや、"バルーンファイト"の慣性プログラムなどは、岩田氏が手がけたものとして有名です。(この慣性プログラムは、後に"スーパーマリオブラザーズ"の水中ステージに活かされました)

岩田氏の貢献によって、任天堂およびHAL研究所は勢力を拡大していったのでした。

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ファミコン世代の方、懐かしいと思っていらっしゃるのでは?他にも、「ピンボール」というソフトのプログラミングも岩田さんによるものです。

言わば、岩田さんなくして任天堂、ひいてはゲーム界の今日はなかったとも言えます。

売れっ子プログラマーとして活躍する岩田さんに転機が訪れたのは、働いていたHAL研究所が倒産の危機に立たされた1992年のことでした。

任天堂からの資金援助、そしてHAL研究所社長へ

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そこへ、任天堂の山内社長が資金援助を表明してくれました。

条件はたった一つ"岩田聡をHAL研究所の社長にすること"。

岩田氏はプログラマーとして超一流であり、山内社長は、予てから岩田氏の能力を高く評価していたのです。

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岩田さんは、前述したとおりプログラマーとしては超一流ではありましたが、経営に携わったことはなく“経営者”としては未知数の人材でした。

そんな岩田さんを社長にすることを資金援助の条件にしたのですから、山内さんの期待の大きさが分かると思います。

岩田さんが社長に就任後、HAL研究所は「星のカービィ」「大乱闘!スマッシュブラザーズ」などの大ヒット作品を世に送り出し、15億円の負債をわずか6年で見事完済したのです。

負債を完済した岩田さんの卓越した手腕はもちろんのこと、それを見抜いた山内さんの人を見る目にも恐れ入りました…。

HAL研究所の社長として快進撃を続けていた岩田さんは、山内さんによって2000年に任天堂の取締役経営企画室長として招かれ、その2年後にはついに任天堂の社長に就任します。

この人事は異例中の異例でした。なぜならば、任天堂は創業者の山内家による同族企業で、当時社長候補として名前が上がっていたのも山内さんの娘婿と息子さんだったからです。

しかし、当時はプレイステーション2に押され、任天堂は窮地に陥っていました。従来のやり方では戦えない状態だったのです。

高性能路線から“原点回帰”へ

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岩田さんが社長に就任した時、その後の任天堂の方向性を次のように定めていました。

ゲームをする層を広げなければいけない。そうしないと、おそらく我々はゆっくり死ぬんだ」と思いました。これは恐怖でした。

パイがどんどん小さくなっているとしたら、業界で一番になっても死ぬのが先延ばしになるだけです。死ぬのを延ばすために社長をするのはイヤでした。

だから「ゲーム人口の拡大」を大きな目標として掲げることにしたのです。

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岩田さんが社長に就任した当時、任天堂のメインハードは高性能を追求した「ゲームキューブ」でした。

しかし、高性能でプレイステーションに勝負を挑んだ結果、負けていたのでターゲットを絞るのではなく「老若男女問わず、皆に遊んでもらえること」を最優先した開発に転換したのです。

その方針転換の結果、ニンテンドーDSシリーズ、Wiiといった今日の任天堂を牽引しているハードウェアが生まれました。

そのおかげで任天堂の業績は、2002年から2008年までの7年間で売上が約3倍に、営業利益に至っては約4倍に…。

改めて数字にすると、その凄さが身に沁みます。

今年の1月には、ついにスマートデバイス向けのサービスを提供するべくディー・エヌ・エーとの業務・資本提携を実現し、これからの活躍が期待される中での訃報でした…。

55歳というあまりにも早すぎる人生の中で、岩田さんが遺した名言も見ていきましょう。

「私の名刺には“社長”と書かれていますが…」

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「私の名刺には"社長"と書かれていますが…」

次に自分の頭を指差しながら、

「頭の中は"ゲーム開発者"です。しかし…」

胸に手を当てながら、

「心は"ゲーマー"です」

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どんなに社会的に影響力のある立場になろうとも、気持ちは「ゲーマー」で在り続けたからこそ、ユーザー視点での開発を心がけていたのではないでしょうか。

人気沸騰中の「スプラトゥーン」について

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ゲームがうまい人じゃなくっても、「インクを塗るのが楽しい」とか、シューターというゲームになじみがなくても「すごくおもしろい」と言ってもらったりと、いろんな人たちに、さまざまな感想を持ってもらえたらうれしいですよね。

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これぞ正に「万人に楽しんでもらえるモノづくり」という社長就任時の思いそのものです。

世代を超えて愛されるビジネスを

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私はね、自分が子どものときに遊んで面白かったゲームの最新作を、親になったときに安心して子どもにやらせてもらえるようなビジネスがしたいんですよ。

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マリオで育った人たちが、大人になって家庭を持った時、そのお子さんにも楽しんでもらえるゲームを作りたい…。その思いは見事に実現しています。

岩田さんの訃報を多くの人が悼んでいます…。

Twitterの声も紹介しましょう。

ゲーム界で雌雄を争ったプレイステーションの公式アカウントでも、弔文のツイートが…泣。

前述した「スプラトゥーン」のゲーム内でも、岩田さんへの追悼メッセージが…

皆に愛された岩田さん…。

岩田さんが世に送り出したゲームやハードで、どれだけの方が楽しい時間を過ごしたかと思うと、言葉になりません。

ご冥福をお祈りいたします。

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