最近、日本でも憲法の話題が活発になってきましたね。

憲法とはつまり、「国のかたち」を定めるもの。その話題が活発になってきたということは、私たちは今、とても大きな時代の変化の中にいるということなのかもしれません。

そこで思い出されるのは、その「国のかたち」によって方向付けられる日本の未来を憂い、若くして自らの命を絶った小説家・三島由紀夫という人物です。

ここでは、彼がなぜ命を絶つという行為にたどり着いたのか、その謎に迫ってみましょう。

1.小説家・三島由紀夫とは?

三島由紀夫(みしま・ゆきお)(本名:平岡公威(ひらおか・きみたけ)は、1925年(大正14年)1月14日に生まれた日本の小説家。

戦後の日本文学界を象徴する作家のひとりであると同時に、海外においても広くその実力を認められている人物でもありました。

代表作としては、小説に『仮面の告白』『金閣寺』『豊饒の海』など。また戯曲には、『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』などがあります。

けれども、彼が自衛隊に体験入隊した後、民兵組織「楯の会」を結成。晩年は、その活動の政治色が強まっていきました。そしてその後、「三島事件」へと至るのです。

2.「三島事件」(「楯の会事件」)とは?

そして、1970年(昭和45年)11月25日。「楯の会」の隊員4人とともに、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現在の防衛省本省)で東部方面総監を監禁。幕僚数名を負傷させ、その部屋の前にあったバルコニーで演説を行いました。しかしその約5分後、割腹自殺。享年45歳でした。

これを「三島事件」(または「楯の会事件」)といいます。

その演説の内容についてですが、現場にいたテレビ関係者などは、ほとんど聞こえなかったと証言。残されている録音でも、野次にかき消されて聞こえない部分が多いといいます。

しかし三島から呼ばれ、現場にいたサンデー毎日記者・徳岡孝夫は、「自分たち記者らには演説の声は比較的よく聞こえており、テレビ関係者とは聴く耳が違うのだろう」とも語っているそうです。

3.動機はどこにあったのか?

この割腹自殺の動機は、大作『豊饒の海』を書き終えたことで小説家としてなすべき仕事を全うしたこと、そして、人は美しい(若い)状態で死ぬべきであるという彼の美学にも関係していると考えられています。

また、戦後の日本の状況とその行く末に絶望していたとも。

自衛隊員たちに巻かれた檄文には、戦後民主主義や日本国憲法への批判、そして、安保体制による自衛隊の存在意義が問われており、決起を促すような内容が書かれていたとのことです。

4.今の私たちに訴えかけてくるものとは?

「諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。きさまたちも違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ。」

出典三島由紀夫割腹自殺演説より

この衝撃的な出来事に対して、同じく小説家の川端康成は、「ただ驚くばかりです。こんなこととは想像もしなかった。もったいない死に方をしたものです。」と述べています。

また、漫画家の水木しげるは、『コミック昭和史』(講談社)最終巻のなかで、その時の自衛官たちに演説が届かなかったのは「戦後育ちばかりで、個人主義・享楽主義になっていたから」だとしています。

言葉による主張や考え方を身体を張って体現し、そして、散っていったようにもみえる小説家・三島由紀夫。その死の解釈はさまざまですが、現在の私たちにも何かを訴えかけていることは、確かなことなのではないでしょうか?

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