元大関貴ノ浪の音羽山親方が2015年6月20日10時55分、急性心不全のため、43歳の若さで黄泉の国へ旅立ちました。

■入門前から将来の関取を確信していた師匠

貴ノ浪が角界入りを決めたのは、藤島親方(元大関初代貴ノ花。現在の藤島は元大関武双山)のスカウト。ひと目見たときから“関取になれる”と確信していたそうです。

藤島部屋に入門した1987年春場所、本名の浪岡で初土俵を踏みました。1年後に入門した若花田(のちの3代目若乃花)、貴花田(のちの2代目貴乃花)の兄弟に後れをとったものの、1991年初場所後、十両に昇進。四股名も「貴ノ浪」に改め、今後の活躍が期待されました。

当時の藤島部屋は、サラブレッドの若花田、貴花田に加え、稽古熱心の安芸ノ島(のちの安芸乃島。藤島部屋初の関取)、気合いを前面に押し出す貴闘力が幕内力士として活躍しており、稽古相手にも恵まれていました。“この時代の「相撲ブーム」の火つけ役”と言っても過言ではないでしょう。

同年九州場所で幕内に昇進。その後、二子山部屋(当時の師匠は第45代初代若乃花で、初代貴ノ花の実兄)と藤島部屋が1993年2月1日に合併し、師匠の初代貴ノ花が二子山部屋を継ぎました。

■スケールの大きい相撲は魅力だが、周囲から酷評を受けたことも

196センチの長身という、恵まれた体格を活かしたスケールの大きい相撲が花開き、1994年初場所後、武蔵丸とともに大関昇進。口上で4文字熟語「勇往邁進」を述べ、さらなる飛躍を誓いまし。地元の青森県三沢市では、大関昇進を機に貴ノ浪のニックネームを公募したところ、「金太郎」に決まりましたが、全国に浸透しませんでした。

大関昇進後も豪快かつ強引な“規格外相撲”でファンを沸かせる一方、一部の親方などからは、「脇の甘さ」や「飛んだり跳ねたりする相撲で、横綱になった者はいない」など、酷評を受けました。横綱という力士は、相手にスキを与えず力強い相撲で常勝街道を築くのが“宿命”です。貴ノ浪は“鉄壁の型”がないものの、上を目指す姿勢に変わりありません。

1996年初場所と1997年九州場所、貴ノ浪は同部屋の第65代横綱2代目貴乃花と優勝決定戦の末、優勝を勝ち取りました(いずれも14勝1敗)。しかし、あと一歩のところで綱に手が届きませんでした。

一方、2代目貴乃花は同部屋の優勝決定戦に3回臨み、すべて負けました。

■同じ建物で2回も部屋の名前が変わる

貴ノ浪はけがの影響もあり、1999年九州場所で大関陥落が決定。次の2000年初場所で10勝をあげ、大関に復帰しました。しかし、春・夏場所で連続の負け越しにより再陥落し、大関在位は37場所で終わりました。

しかし、霧島や小錦の大関陥落に比べ、貴ノ浪には余力が残っていました。特に2002年九州場所で、第67代横綱武蔵丸から初金星をあげたほか、現役大関の2代目栃東、武双山も破り、10勝5敗の好成績で敢闘賞を受賞。大関陥落の力士が三賞を受賞したのは、1977年初場所の魁傑以来、25年ぶり4人目の快挙となり、もうひと花を咲かせたのです。

2004年2月1日、初代貴ノ花が部屋を2代目貴乃花に譲り、名称も「貴乃花部屋」に変わりました。同じ建物で相撲部屋の名称が2回も変わったのは大変珍しいのです。すでに時代を彩った“同僚”が現役を引退しており、相撲ブームも一旦去っていました。貴ノ浪は「二子山部屋最後の関取」であり、「貴乃花部屋最初の関取」でもありました。

貴乃花部屋2場所目となる2004年夏場所3日目、貴ノ浪は32歳で現役を引退。すでに心臓疾患を抱えており、相撲がとれる状態ではなかったそうです。引退後は年寄音羽山を襲名し、部屋つきの親方として後進の指導にあたっていました。

記憶に残る大関貴ノ浪。型破りを魅せる力士は、もう現れないでしょう。

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岸田法眼 このユーザーの他の記事を見る

レイルウェイ・ライター。旅、鉄道、小説、時事問題、プロ野球、大相撲などをテーマに執筆。2007年1月にライターデビュー。以降、『TRAIN MODELING MANUAL』(ホビージャパン刊)、『鉄道のテクノロジー』(三栄書房刊)、『鉄道ファン』(交友社刊)、『エキサイティングマックス!』(ぶんか社刊)、ハフィントンポスト(ザ・ハフィントン・ポスト・ジャパン刊)などに寄稿している。

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