イタリアのセリエAのインテルに所属する長友佑都。2014/15シーズンこそ怪我に悩まされ出場機会も少なかったが、それでもセリエAでキャプテンマークを巻いたシーズンも記憶に新しいなど、活躍は確かなものだ。

そんな長友佑都は、いくつかのスゴいエピソードを持っている。今日はそれを5つに絞ってお伝えしたい。

小学校時代、愛媛FCのセレクションに落選

出典 http://www.gettyimages.co.jp

多くのJリーガーが幼少期からその才能を開花させ、活躍をしている中、長友は必ずしもそうとは言えなかった。愛媛県西条市の神拝SSに所属し、県ベスト4まで進んだことこそあったものの、それなりの自信を持って挑んだ愛媛FCジュニアユースのセレクションには落選。仕方がなく地元の中学に進まざるを得なかった。

中学時代、ゲームセンターから県ベスト3へ

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西条北中のサッカー部に進んだ長友だったが、当初はサッカーに打ち込む環境ではなかった。「だったら自分も…」と、放課後ゲームセンターへ通ったこともあったという。

しかしそこで運命的な出会いを果たす。のちに長友が「恩師」と呼ぶ井上先生が顧問として、長友を更生させたのだ。そしてチームは長友を筆頭にみるみる変わり、中3の時には同校初となる県ベスト3にまで輝いた。

高校時代、授業で一睡もせず

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飛び込みで練習参加した名門・東福岡高校に、晴れて入学することができた長友。しかしそこで待っていたのは、熾烈なレギュラー争いだった。一般入試で入った長友には決して優位な立場ではなかったが、全体練習後の自主練習を誰よりも遅くまで行い、朝も一番に来て走り込みを行ったという。

それではさぞかし勉強の方は…と、思いがちだが、「母さんが必死で働いて授業料を払ってくれている。」そう思うと寝ることなんてできなかったという。

明治大学に一般推薦で合格

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そんな姿勢の賜物か、長友は学習面での成績が認められ、指定校推薦で明治大学への進学を決めた。それでいてサッカーの方も日頃の努力が実り、3年生の頃にはボランチの一角を担えるまでになる。そして全国大会出場も果たし、長友はそのピッチに立つことをかなえた。

思うような成績は残せなかったが、それでもサッカーを東福岡で続けられたという「感謝」が長友には染み渡ったという。

大学時代、太鼓持ちからレギュラーへ

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長友にとって茨の道は、大学でも待っていた。スポーツ推薦で入部する人も多い明治大学サッカー部に、指定校推薦でやってきた長友は、当初入部許可が下りるかすら決まっていなかったという。しかし無事に部員になることが決まり、あとは努力するのみ…そう思った矢先のことだった。椎間板ヘルニアによる腰痛を発症してしまうのだ。このせいで長友は、一時スタンド観戦で音頭をとる太鼓持ちの役目すら買っていたという。

そこからでもまた、長友はゆくゆく這い上がり、今につながるサイドバックへのコンバートにも巡り会い、レギュラーを奪取したのだ。

プロになってからの長友は、JリーグのFC東京でもレギュラーをものにし、そのままイタリアのチェゼーナに移籍、さらには言わずもがな名門のインテルに加入するなど、目覚しい活躍を続けている。

しかし彼は決してエリートではなかった。運命と、努力と、感謝と。いつまでもそれらを欠かさなかった長友だからこそ、今、誰しもが認める「スゴい」選手に成長しているのだ。今後も彼の活躍から目が離せない。

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パン屋巡りとサッカー・フットサルが趣味。出版社での編集職を経て、現在ライター2年目。プライベートでは競技フットサルチームのスタッフとしても奮闘中。

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