記事提供:長谷川豊 公式ブログ

前回の私のブログが結構な反響をいただきました。

ある一部の小学校では、運動会の「障害物競走」という言葉をもって、「障害」は差別を連想させるのだーということで「興味走(きょうみそう)」というネーミングにしたのだ、と。

いくらなんでも…と思ったので、「言葉狩りが暴走していて、窮屈でおかしな社会になってきていないか?」と疑問を呈させてもらったのですが、大変多くのお方から賛同の声をいただきました。

そんな舌の根も乾かぬうちに、こんなニュースがニュースで取り上げられていました。

ドッジボールはいじめ?

あまりにもバカバカしいのですが、一応、ニュースの内容を紹介させていただきます。ある方がネット上に「ドッジボールはすぐに義務教育からやめるべきである」と書かれたそうです。

その後、その方は「選択制にすべきである」と主張を変えられたようですが、それに対してネット上では賛否両論だ、と。

「ドッジボール大っ嫌いだった」
「子供の時からずっとそう思ってました!!!」

という意見や、逆に

「じゃあ他のスポーツならいいのかね」
「ドッジボールをいじめてるだけ」

という意見など、様々な意見が出されたそうです。

もうね…頭が痛くなるというかなんというか…。これです。これが私が前回のブログの中で一部紹介した「被害妄想バカ」の典型です。

こういうことを言う人の何が間違っているのかを指摘します。

まず、間違った勝手な思い込みを正しいと信じ切ってしまっている、という点です。

ドッジボールはいじめにつながる、という論拠として「他人にボールをぶつける野蛮なスポーツであり、イジメにも繋がりやすい」と主張されているようですが、どんな幼少時代をお過ごしになっているのか知りませんが、完全に間違っています。

ドッジボールはただのスポーツです。

ルールの決められた、そのルールの中で戦略的に戦っていくただの「スポーツ」です。ルールのあるスポーツをいじめだのなんだの、といい始めたら、全てのスポーツができなくなります。

広義の意味で言いますと、スポーツはある意味、全ていじめ的行為と言うことすらできます。相手の弱点を突き、相手を打ち負かすのが基本なのですから。

野球で内角の苦手な人間に、執拗な内角攻めをすることはいじめなのでしょうか?

サッカーで身長が高い人間をゴールキーパーに持っていくことが多いのですが、それは身長による差別なのでしょうか?

バスケでは、体の小さな人間を体で押しだして、自分のベストポジションをキープすることがとても大切になってきます。スクリーンアウトというのですが、これは完全ないじめなのでしょうか?体が小さいとどんどんはじき出されます。

ボールを当てるだけのドッジボールがイジメなのに、竹刀で相手を叩きのめす剣道や、相手の首を絞め落として泡をはかせる柔道はイジメではないそうです。もはや意味が分かりません。

おそらく、そのツイッターをした方は昔、ドッジボールで当てられてかっこ悪い経験をしたのでしょう。なので、ドッジボールが嫌いなのでしょう。それは…

あなたの運動神経なかっただけです。

その方は最終的に「ドッジボールは選択制にしよう」と言ってるようですが、そんなことを言い始めたら、音楽の授業も選択制にしときますか。

歌のヘタな人間はいます。先天的な音痴は存在します。しょうがない。選択制にしましょう。そこだけ大丈夫ってことはないでしょうから。

勉強の得意な人間も不得意な人間も存在します。じゃあ、テストもやめましょう。と、言うか、もう学校に行くのも選択制にしますか。強制するのもおかしいのですしね。勉強が苦手な人も学校に行くのが嫌な人もいますしね。

もうね…薬飲んで寝てろ、と。聞いてるだけで頭痛くなるわ。

ドッジボールも同じ。音楽も同じ。得意・不得意はあります。受験勉強も同じ。勉強でもテストでも優劣は付くのです。その優劣をつけられることに変なコンプレックスを持つのではなく…

それをどう捉えるのか、それを学ぶ場こそが学校なのです。

あぁ、自分は運動が苦手なのだ。では、どうするのか?運動を鍛えるのか、無視して、文化的な方面に行くのか。

音楽が苦手なのだ。誰にもかなわないのだ。では練習するのか、勉強に取り組むのか

甘えたナメた考え方だけで大人になって、何ができますか?いやなことを「禁止すべきだ」と叫ぶことによって、何が一体成長するのか、そこに答えなどあるのでしょうか?

ドッジボールも学校のテストも音楽も習字なども…全部、優劣は付きます。そして、私たちの生きているこの社会は残酷な社会であることを人間は知っていくのです。

どれだけ野球の練習をしても、生まれつきイチロー選手にはかなわない。どれだけ歯を食いしばって柔道の練習をしても、野村忠宏選手にはかなわないのです。絶対です。生まれつき、何もかもが違うからです。

そんな、当たり前のことを学んでいくのです。人は特別ではないのです。

特別なのはごく一部の人間であって、それ以外はただの「ザコ集団」なのです。私だって、声という武器はありましたが、他は何もありませんでした。

悔しくて、それでも負けないように、努力をした結果、今の仕事を得ているだけです。「世界で一つだけの花」なんて、ただの甘やかしソングです。

みんな特別ではありません。ザコなんです。だからこそ、それを知ったうえで頑張るものなのです。逃げて、避けて、どうするよ?

何より、ドッジボールはいじめでもなんでもありませんが、もしいじめ的行為が確認できた場合、それらを正すのはホームルームなどの管轄です。

その勘違いをしたまま、もし「ドッジボール、辞めちゃおうか」となった場合、ドッジボールから学べる、戦略的な駆け引き、運動神経の発達、クラスメイトとの協力、たくさんのものを小学生から奪ってしまうことになるのです。

そのデメリットを議論していないのは偏った意見です。

自分は嫌だった。

だから、辞めろ。これもやめろ。選択制はどうだ?選択しなくていいようにしようぜ。

そういう馬鹿どものことを、私は「被害妄想バカ」と、そう呼びます。そして、その被害妄想バカのいうことを、面倒くさいのでいちいち聞き始めるから、日本社会はこじれるのです。学べるものが学べなくなるのです。

それは、「優しさ」などでは決してなく、「議論することから逃げているだけ」なのです。思いやったふりをして楽をしているだけなのです。バカ相手なので面倒なのは理解できますが…。

ネット上で「ドッジボール、だめだよね~辞めちゃえ」と言ってる大バカの皆さん、よく考えろ。そして、ちゃんと自覚したうえで、少し黙っててほしい。面倒なので。

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