当て字やアニメやゲームのキャラクターなど、読みづらい漢字や個性的すぎる名前が話題となっている「キラキラネーム」。いまや学校の先生も名簿にふりがなを振らなければ出欠も取れないことも…。

2000年以降増え続けてきたキラキラネーム(通称DQNネーム)を他人事だと思っていたが、最近自分の周りでもキラキラネームを付けられている小学生が…

今回はそんなキラキラネームの元祖に迫ってみたいと思います。

キラキラネームは明治時代にも存在していた!?

話題になっているキラキラネームですが、実は今に始まったことではないようです…。

子供にキラキラネームをつけた森鴎外

出典 http://grapefruitmoon.info

意外な事に、明治時代にさかのぼると明治時代の小説家で有名な森鴎外は、子供、孫に変わった名前を付けていたようだ。

著名な森鴎外が元祖キラキラネーム発案者なのであろうか?

長男 於菟(おと)

出典 http://vmugiv.exblog.jp

森鴎外の長男「於菟(おと)」。名前だけ聞くと、明治時代にはありそうな名前なのだが、漢字が完全に当て字です。

名前の由来は…

寅年生まれであることから、鴎外が中国の古書『左伝』から虎を意味する「於菟」を取って付けた。同じく、鴎外から、『史記』に書かれている虎の異名「山君(山の神の意)」を筆名としてもらっている。

出典 http://ja.wikipedia.org

その経歴もすごかった!

母校の東京帝国大学医学部助教授をへて、1945年の終戦まで台北帝国大学(現・台湾大学)医学部教授をつとめた。戦後は、台湾大学医学院教授(1947年まで)を務めて医学部長となり、帝国女子医学専門学校長、東邦大学医学部教授・医学部長などを歴任した。

出典 http://ja.wikipedia.org

長男・於菟の子供達の名前も…

長男 真章(ますく)
次男 富(とむ)
三男 礼於(れお)
四男 樊須(はんす)
五男 常治(じょうじ)

森鴎外の長女・茉莉(まり)

出典 http://ameblo.jp

現代では普通な名前である「まり」だが、当時としては珍しかったのではないでしょうか。

しかし、漢字はこれまた珍しい字である。

経歴

54歳で鷗外に関するエッセイを集大成した『父の帽子』を発表、第5回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞する。その後、『甘い蜜の部屋』(泉鏡花文学賞受賞)・『恋人たちの森』(田村俊子賞受賞)などの長短編小説群を発表。三島由紀夫などから激賞され、一躍作家の仲間入りをする。

出典 http://ja.wikipedia.org

長女・茉莉の子供の名前は…

長男 爵(じゃく)
次男 亨(とおる)
長男はやはりキラキラネーム、次男は意外と普通の名前だ。

森鴎外の次女・杏奴(あんぬ)

出典 http://art-random.main.jp

長女と二人合わせるとマリアンヌになる。

狙っていたかどうかは定かではない。

経歴

『明星』の後継誌『冬柏』(とうはく。与謝野寛・晶子が主宰)に「晩年の父」と「思出」を相次いで発表し、1936年(昭和11年)に「母から聞いた話」と併せて『晩年の父』を刊行した。

1938年(昭和13年)11月に編著『森鴎外 妻への手紙』を刊行。

出典 http://ja.wikipedia.org

次女・杏奴の子供の名前

長女 桃子(ももこ)
長男 鴎一郎(おういちろう)
森鴎外一派としては意外と普通の名前なのではないだろうか。

森鴎外の次男・不律(ふりつ)

生後すぐに死去してしまったそうだ。

森鴎外の三男・類(るい)

出典 http://vmugiv.exblog.jp

名前に恥じぬ美男子である、この顔立ちなら納得してしまいそうではある。

経歴

1956年、森家の様子を赤裸々に描いた「鴎外の子供たち」を『群像』6月号に発表、同年12月に光文社から単行本として刊行。

1963年、同人誌『小説と詩と評論』に木々高太郎や童門冬二や柴田錬三郎たちと共に参加し、同誌創刊号の巻頭に『驟雨』を、第6号に『市街八分』を、第7号に『百舌鳥』を発表。1966年に同誌第30号に発表した『柿・栗・筍』は直木賞作家榛葉英治によって芥川賞予選作品に推されたが、芥川賞候補にはならなかった。1969年、木々の死去に伴って同人を脱退するまで同誌に小説を発表。

出典 http://ja.wikipedia.org

三男・類の子供の名前

長女 五百(いほ)
次女 佐代(さよ)
三女 りよ
長男 哲太郎(てつたろう)

そもそも、森鴎外が子供たちに変わった名前を付けた理由って?

自分の名前がドイツ人に正しく発音されなかった事をコンプレックスに思い、子孫には独仏語でもおかしくない名前を付けたのだそうな。そう言われてみれば、外国人でもありそうな名前が多いように感じる。

子孫には海外に進出した時に恥をかいてほしくないという、森鴎外の親心から名づけられたのだろう。

森鴎外の子供達のキラキラネームには、明治の超エリートだった森鴎外らしい考えが詰まっていた。

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