『30代』と聞いて、あなたはどんな事を思い浮かべますか?

「仕事」「家族」「結婚」「今後」…勢いにまかせて走っていられた10代、20代とは違い、全ての物事がリアリティを帯び、成熟した大人になった事を実感するとともに、その人生の歩み方について考えるようになる、実は一番の岐路と言ってもいい年代かもしれません。

そんな『30代』というタイミングで、実はあの2人の有名人も大きな変化を迎えていたことを、ご存知でしょうか?

「タモリとSMAP中居正広を変えた『30代』」

・一般人から芸能人になったタモリの『30代』

1945年8月に福岡で生まれたタモリは、浪人期間を経て早稲田大学へ進学。モダン・ジャズ研究会在籍中にひょんなきっかけから務めた司会業が評判になり、大物司会者・大橋巨泉にもその才能を認められるほどでしたが、学費未納により大学を抹籍処分になっていた事もあり、23歳で家族のいる地元福岡に呼び戻されます。

福岡へ帰ったタモリは親族の勧めで保険会社へ就職し、そこで出会った同僚の一般女性と結婚。その後何度か転職するも、勤務先は喫茶店やボウリング場などで、基本的にはごく普通のサラリーマンとして、芸能界とは何ら関係のない生活を送っていました。

しかしまだ会社勤めをしていた27歳の頃、福岡のホテルで偶然ジャズ・ピアニストの山下洋輔らと出会った事をきっかけに、彼は数年後から「素人芸人」として月1回の上京を開始。そこでさらに赤塚不二夫にその才能を見初められた事で、タモリはついに、芸能プロダクションと契約し、正式な芸能界デビューを果たします。

プロとしての初出演作「チャンネル泥棒!快感ギャグ番組!空飛ぶモンティ・パイソン」の放送開始は1976年4月、タモリは30歳。

「正直いって、福岡にいる時は、あんなことをやって受けるわけないと思っていた。だからひと前ではやらなかったですよ。密かに自分で、これは面白いからって考えてやっていた」

出典タモリ学 / 戸部田誠(てれびのスキマ)/ イースト・プレス / 2014年

「この世界(芸能界)しか知らなかったら、この世界のおかしなところなんかが、わからなくなるんで。おれは一般人だから、そのおかしな感覚が目についちゃうわけ。三十まで一般人生活してると一生抜けない」

出典タモリ学 / 戸部田誠(てれびのスキマ)/ イースト・プレス / 2014年

しかしデビューからほどなく始まった「タモリのオールナイトニッポン」や「今夜は最高!」などの人気もどんどん追い風にして、福岡在住の一般人だった”森田一義”時代からわずか6年後、タモリはついにあの伝説的長寿番組「笑っていいとも」と出会います。

後に32年間続くことになる「笑っていいとも」の第1回が放送された1982年10月4日。

タモリは、37歳になったばかりでした。

「俺、30からこの世界入ったじゃない。それでスルスルスルって横滑りして入ってて、30から6年後にこの番組やったんですよ。「いいとも」で、初めて芸能人として何とか格好がついた」

出典笑っていいとも / タモリ / 2013年10月22日

・アイドルから司会者になったSMAP中居正広の『30代』

1972年8月に神奈川で生まれた中居正広は、同級生とともに履歴書を送った事がきっかけで、中学生でジャニーズJrに。それからほどなくして結成されたアイドルグループ・SMAPは数年の下積みを経て、1991年に念願のCDデビュー。

その後歌番組の減少などにより人気獲得に苦しむ時期もあったものの、ジャンルを問わない積極的な活動でオリコン1位達成など上昇の兆しを見せ始め、ゴールデンでの冠番組も始まった1996年頃、ついにグループはブレイクを迎えます。

個人としてもデビュー前の17歳頃からすでに、グループの為に「仕切れる人間になろう」という明確な目標は持っていたという中居。

その努力が実を結び、彼は25歳でNHK紅白歌合戦の白組最年少司会に抜擢されるなど華々しい実績を残せるようになっていきましたが、その一方でMCとしての意識と需要が高まっていくほど、実はこんな悩みも内に抱えていました。

「女のコの話とかちょっとしたエッチな話とか、司会をやっていると出てくるじゃないですか。でも20代のときは、他人に聞くには聞くけど、自分自身は答えられない状況があった。それはやっぱり汚いだろうと。」

出典週刊テレビジョン 2013 No.36 / 中居正広

ただでさえ先輩グループは皆20代でほとんど解散を余儀なくされてきたアイドルの世界、しかも自分の意思以上に、”アイドルという肩書のおかげでやらせてもらえている”事を、絶対的に拭いきれない状況。

…その中で彼はあるタイミングを機に、それまでアイドルにとってタブーとされてきた女性ネタや恋愛の話題を、全面的に解禁し始めます。

きっかけは中居本人がMCの仕事をできるだけ沢山やりたいと希望した中で始まった「中井正広のブラックバラエティ」

2004年7月、31歳の時にスタートしたこの番組で女性ネタを解禁していくことで、中居はファンや視聴者との関係性を変え、そして自分の立ち位置も明確に変化させるべく、立ち回っていきます。

「30代に入ってから、司会の番組というのを自分の中でしっかりやりたいなという思いはすごく強くなりました。20代でいろいろやらせてもらって、やっぱり自分はMCをやりたいなと強く明確に思った。」

出典週刊テレビジョン 2013 No.36 / 中居正広

「司会をやっていくと考えていく中では、あのころが大事な時期だったんじゃないかな。」「だから僕にとって30代に入った時期が分岐点。」

出典週刊テレビジョン 2013 No.36 / 中居正広

・2人の『30代』が変えたもの

一見全く違うように見える2人の『30代』。しかし実は深いところで、密かに共通している部分があります。

それはどちらも30代を機に「既存の意味からの解放」を迎えていたこと。

「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と」

出典赤塚不二夫の告別式における弔辞 / タモリ / 2008年8月7日

タモリは一般人という意味から、中居正広はアイドルという意味から自分を解放することで、シガラミを切り離し、絶対的な自分を見つめ、そして覚悟と共に肯定した。そしてその変化の決断をさせたのは、どちらも『30代』という時間だった。

…遅咲きのデビューから30年以上”BIG3”として唯一無二の存在感を確立してきたタモリと、そんな彼のテレビ史に残る冠番組・笑っていいともの最終回で、そうそうたる顔ぶれを前に、芸人以外で唯一ステージに上がる事を許されていたSMAP中居正広。

この2人が結果的に人生を変え、現在という未来を肯定するきっかけとして過ごしたその『30代』というタイミングを改めて考えた時、

そこには普通の人生を送る私たちにとっても決して他人事ではない、何か人生の大きなヒントが、隠されているようにも思えてなりません。

いいとものレギュラー出演最終日、”先輩”タモリが中居にかけた言葉

…ちなみに芸人とアイドルである2人が最初に出会うきっかけとなった音楽番組「ミュージックステーション」で、タモリが司会を務めはじめたのは、41歳の時。

それから27年後、奇しくも同じ41歳になった中居正広との「笑っていいとも」レギュラー共演最終日、中居は「自分がくじけてしまった時用に」とメッセージビデオの撮影を打診します。

その中で同じ『30代』で全てを変えた人生の先輩であるタモリは、くじけてしまった未来の中居正広へ、笑顔でこんな言葉を送っていました。

「中居、頑張れ。大丈夫だ。」

出典笑っていいとも / タモリ / 2014年3月25日

「……なんとかなるって!」

出典笑っていいとも / タモリ / 2014年3月25日

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twitter→ @drifter_2181 / 1983年生まれ。北海道在住。2012年にブログ「小娘のつれづれ」をスタート、2014年からはフリーライターとしても活動。デビューから応援しているアイドルの再評価をきっかけに、新規 / ライトファンを意識したエンタメ記事を日々研究しています。

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