福岡ソフトバンクホークスの本拠地「ヤフオクドーム」

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人気、実力ともに日本を代表する球団となった福岡ソフトバンクホークス。1988年、ダイエーホークスとして福岡に誕生し、1992年にドーム球場が完成しました。

現在はオーナー企業がダイエーからソフトバンクに変わり、球場名もヤフオクドームになっていますが、球場内の15番通路は、ダイエー時代から変わらず、ホークスの歴史には欠かすことのできない、ある選手の名前で呼ばれています。

藤井将雄投手(背番号15)にちなんだ藤井ゲート

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1995年にドラフト4位で入団した藤井将雄投手は、1998年に右の中継ぎエースとして活躍。「炎のストッパー」と称され、翌1999年は当時のパ・リーグ最多ホールド記録を樹立するなどの活躍で、チームを優勝に導きます。

気迫溢れるピッチングで活躍する藤井投手

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しかし、1999年のシーズン途中からマウンド上で咳き込む姿が見られ、リーグ優勝後の精密検査で異常が発覚。医師からすぐに入院するよう言われたものの、医師を説得して日本シリーズに登板したのです。

ダイエーホークス創設後初の日本一に!

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藤井投手は、入団当時からの「王監督を胴上げする」という夢を果たしたのです。

一方、ご家族には辛い告知が…

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精密検査後、ご家族は病院に呼ばれました。藤井投手の病は「肺がん」だったのです。医師から告げられた余命は早くて3カ月。

ご家族は「マウンドに上がるという気持ちがあれば、気力で病気を克服できるかもしれないから」という思いで、医師から本人に「間質性肺炎」と告げてもらうことにしました。

また、家族は公にすることなく、王監督に病気のことを伝えたいと考え、後援会の北方伸一さんに相談。藤井選手といちばん仲の良かった若田部健一投手を介して王監督に直接「形だけでいいから契約更改をして欲しい」と懇願。

王監督は「何も心配しなくていいですよ。契約更改は必ずします。ダイエーはそんなケチな球団じゃないですから」と言ったそうです。球団は優勝への貢献度を踏まえ、年俸倍増で契約更新をしました。

そして王監督は藤井投手にこう言います。

「ゆっくり焦らず治療をしてください。若手がバテ始める6月に照準を合わせて戻ってきてくれればいいから」

この言葉は藤井投手の心の支えとなりました。

2000年は入退院を繰り返しながら、3月には2軍キャンプに復活。5月18日には2軍戦に登板し、その後も5試合に登板しました。

「もう最後の登板になるかもしれない」と伝えられた王監督は藤井投手に「今すぐ1軍に上がってこい」と電話をしたそうですが、「(2軍で)結果を出していないのに上がることはできない」と、1軍に上がることを拒否したそうです。

その年の6月、藤井投手は緊急入院。入院先はドームに隣接している国立病院九州医療センターでした。

入院中、藤井投手は自身のホームページに日記を掲載。優勝争いを続けるチームにエールを送り続けます。

チームはV2を達成!しかし、藤井投手は…

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藤井投手の思いが届き、チームは見事にV2を達成。王監督の胴上げには、藤井選手の背番号15を付けたハリーホークが加わっています。このハリーホークを持っているのは、親友の若田部投手です。

このとき、藤井投手は病室で、涙が止まらなかったそうです。

しかし、この優勝の日から6日後の10月13日、容態が急変し、藤井投手は31歳という若さでこの世を去るのです。

誕生日の10月16日に告別式が行われました

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出棺の際は、親友の若田部投手や兄貴分の工藤公康投手(現・福岡ソフトバンクホークス監督)などが棺を担ぎました。

藤井投手は、今でもチームにとってなくてはならない存在。公には言われていないものの、背番号15は永久欠番です。

また、彼の病気と闘う姿は、今なお様々な番組でも取り上げられています。2015年に入ってからも「ザ!世界仰天ニュース」で取り上げられました。

この番組でも取り上げられ、ヤフオクドームの15番通路にも掲げられている藤井投手の最後のメッセージ「皆様へ」。涙なしには読むことはできません。

2000年10月17日 火

今の自分があるのは、過去から現在において出会ったすべての人のおかげだと思います。その中の誰一人がかけても、今のこの幸せな自分は存在しませんでした。だから、すべての人に感謝しています。

プロ野球選手はまわりの人々に夢と希望を与える職業だという人がいます。でも、ボクは逆です。たくさんの人から夢や希望、エネルギーをもらってきました。そのことがうれしかったんです。

6年前の入団発表のとき、王監督を胴上げしたいと抱負を述べました。その願いも去年のリーグ優勝と日本一で無事に達成できました。そして、今年はチーム全員で頑張ってつかんだV2。すばらしい野球人生だったと胸を張れます。

この病気には自分自身、すごく勉強させてもらいました。孤独や優しさ、思いやり、不安。人間の本当の感情に触れることができました。今までのボクは上っ面のとこしか見えてなかったんだなとも思いました。すべては、この病気が教えてくれたことです。

この一年間、ゆっくりと休ませてもらいました。あらためて野球を頑張ろうという気持ちにさせてくれた中内正オーナー代行はじめ球団の方々、王監督、チームメートの皆、感謝の気持ちは忘れません。

そして、生きる希望を与えてくださったファンの皆様、ありがとうございました。これからもダイエーホークスを応援してください。

藤井将雄

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福岡在住。Amebaみんなの編集局公式ライター。旅、食、スポーツなどのジャンルについて書いています。

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