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印象派の画家として著名なゴッホ。ひまわりの絵を描いた画家としても有名ですね。そんなゴッホの人生を紐解くと、挫折と精神障害、宗教への傾倒、実弟からの援助などたくさんの問題が山積する激動の人生であったことがわかりました。

そこで今回は、ゴッホの人生における挫折エピソードを紹介したいと思います。

まずゴッホの生い立ちを簡単に説明します。

1853年3月30日、オランダ南部に牧師の父テオドルスと母アンナとの間に、長男として生まれました。幼い頃から癇癪持ちで、両親はもちろんのこと家政婦、兄弟からも扱いにくいと見られていたそうです。

兄弟は、弟が2人、妹が2人いるのですが、中でもすぐ下の弟であるテオは、生涯に渡ってゴッホに金銭的な援助をすることになります。このテオは、ゴッホが挫折した際は毎回助けるといういい人ぶりを発揮しているので、後述での登場をお楽しみに…。

では、ゴッホの挫折をご覧下さい。

1. 国立高等市民学校中退

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1866年9月15日、ティルブルフの中学校に進んだが、成績上あるいは家庭の経済上の理由から、1868年3月19日、同校を中退し、フロートズンデルトヘ戻った。

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卒業まであと1年だったのに、突如学校を中退してしまいます。本人が望んでの中退なのか、家庭の経済上の理由なのか理由は現代に至るまで謎に包まれていますが、後年少年時代をゴッホ自身が振り返った際に「陰鬱で冷たく不毛だった」と語っていることから、学校生活も楽しくなかったのかもしれません。

学校を中退したゴッホですが、すぐには就職せず学校へ通うこともなかったので、実質ニートとなります。そんなゴッホに働き口をと、伯父が自身の経営している美術商社「グーピル商会」へゴッホを就職させました。いわゆる縁故入社ですね。

しかし、ここでもまた彼に挫折が訪れます…

2. 失恋、そして転勤するも解雇

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伯父の会社「グービル商会」で画商として働いていたゴッホは、真面目な働きぶりが評価され栄転という形でロンドンに転勤するのですが、失恋してしまいます。

ロンドンでは下宿先の娘ウルスラに惚れ、相思相愛と信じて告白するも既に婚約者がいて玉砕。1875年(22歳)、失恋から立ち直れないヴィンセントは仕事への熱意を失い、彼の精神状態を心配した伯父の計らいでパリ本店に配属された。

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彼氏がいるかいないか、確認をしなかったようですね…。失恋で落ち込むのは仕方ないにしても、伯父さんに心配されてパリに異動になるって…。

そして異動先のパリ支店で、自分の気に入らない絵を買おうとした客に「買わない方がいい」と言うなど、勤務態度に多々問題が出てきたため、同僚との関係も最悪になっていきました。中でも、繁忙期であるクリスマスに会社に無断で実家に帰ったことは大きな問題になり、1876年1月には3月末での解雇を通告されてしまいました。

現代で言うなら、無断欠勤の末の解雇といったところでしょうか。社会人としてダメなパターンと言わざるを得ません。

3. 教師になるも、また解雇される

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グーピル商会を解雇されたゴッホは、1876年4月からイギリスで小学校の先生として働くのですが、また解雇されてしまいます。ですが、この解雇された理由というのは少し同情の余地がありました。

語学教師の職を得るが、生徒は貧しい家庭の子どもが多く、フィンセントは滞納された授業料を集めることができず、ここでも解雇される。

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繊細な心の持ち主だったようで、取り立てができなかったために解雇されました。

この時に貧しい家庭の実態を目の当たりにしたゴッホは、彼らを救いたいと思い今度は伝道師を目指します。

4. 大学受験断念、そして伝道師も解任

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伝道師になるため、大学の神学部の受験勉強を始めるも、学力が追い付かず断念…。それでも夢を諦めきれず、ゴッホはベルギーの伝道師養成学校へ行くのですが…

1878年(25歳)、ブリュッセルの伝道師養成学校に入ったが、見習い期間が終わっても伝道の仕事が与えられなかった。同年暮れ、聖職者の仕事を探してベルギー南部のモンス、ボリナージュ炭鉱地帯へ向かう。

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伝道の仕事を与えられなかったので、勝手に炭鉱地帯で伝道活動を始めたのです。

翌年、半年間の期限付きではあるが、ついに伝道師として認められる。ヴィンセントは劣悪な環境で働く炭鉱夫に心から同情し、懸命に伝道活動を行う。

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勝手に始めた伝道師の活動ですが、ついにお墨付きを得ることができたのです。名実ともに伝道師となったゴッホは、ますます懸命な伝道活動を行うも、半年間の期限が終わると解任されてしまいました。その理由は…

理由は“常軌を逸した熱心さ”。ヴィンセントは聖書の「汝の持ち物を売りて貧しき者に施せ」を実践し、ひどい掘っ立て小屋に住み、伝道師の衣服は坑夫にやり、手製のズック地のシャツを着ていた。

顔は炭で汚れ、落盤事故で負傷者が出ると下着を引き裂き包帯にした。

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これが、聖職者の権威や品格を貶めると判断されたからです。たしかに、やり過ぎな感は否めません。

伝道師を解任された後のゴッホは、父の仕送りでデッサンや模写をする生活をしており、そんなゴッホの生活に対する家族の目も大変冷たいもので、精神病院への強制入院も検討されたほどです。

しかし、画商として働いていたこともあり、ついにゴッホは26歳にして画家としての道を歩むことになります。と同時に、弟テオにこの時から死ぬまで養ってもらうことになるのです。

画家になってからのゴッホの挫折は、さらにひどいものになっていきます。

5. 失恋、自殺など女性関係が大変なことに

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画家になってからのゴッホの女性関係はひどいものでした。主に女性にふられるというものでしたが、心の傷になったのは間違いありません。

未亡人の従姉に熱を上げ告白するが失恋してしまう。

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ゴッホが28歳の時の話です。当時画家としての収入がなく、弟テオの仕送りで生活していたにも関わらず求婚。当然、従姉には振られました。

しかし振られてからも、現代で言うストーカーまがいのことをしていたため、伯母夫妻からも怒られたそうです。

ヴィンセントは街で出会った娼婦シーンと同棲を始めた。シーンは30歳。子持ちで、妊婦で、性病に感染し、アルコール中毒だった。性病が移ったヴィンセントは3週間入院する。

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翌年、ゴッホが29歳になると娼婦と同棲するようになります。性病を移されて入院…。もう何も言えません。シーンとの間には長男も誕生しますが、最終的に二人は別れます。

隣家の娘マルホット・ベーヘマンから求愛され(ヴィンセントが惚れられた!)、彼はその気持ちを受け入れようとしたが、生活能力の問題から双方の親に交際を禁じられ、彼女は服毒自殺を図った。

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シーンと別れたゴッホは実家に戻り、実家の隣に住んでいた女性と相思相愛になったのですが、両家から反対され女性は自殺してしまいました。ゴッホが、売れっ子の画家になっていたら二人は結婚できたのかもしれません。

6. 自信作を酷評される

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女性達との辛い別れを乗り越え、作成した作品「ジャガイモを食べる人々」は、ゴッホにとって初めての構成画でした。しかし、この作品は酷評されるのです。

しかし、絵の評価について、ゴッホ自身は満足したが周囲はそうではなかった。ベルギー時代の友人の画家ラッパルトには人物の描き方や遠近感など些細な点まで批判を受け、弟テオ(グーピル商会の画商としてパリで勤務)からは色彩が暗く、今の時代に即応していないと批判を受けた。

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自信作だっただけに酷評されたことは不本意だったようで、厳しい評価をした友人ラッパルトとは絶交するに至りました。

7. 弟テオに家を追い出される

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「ジャガイモを食べる人々」を酷評されて後、ゴッホはベルギーの美術学校へ通うのですが、わずか3か月で退学。その後、何の連絡もなしにパリにいる弟テオの家に居候します。これだけでも迷惑な兄なのに、テオはゴッホのために広い家に引っ越してあげたのです…優しい。そんなテオにも限界が来たのです。

パリは刺激に満ちていたが、大都会に息苦しさを覚えたヴィンセントはアルコールに手を出し、テオは万事に強情な兄との生活を負担に感じ、喧嘩が絶えなくなる。

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ゴッホはアルコール依存症になっていたようです。兄弟仲も悪化し、ゴッホはテオに追い出される形となりました。

その後、ゴッホはフランス南部のアルルで画家仲間のゴーギャンと共同生活をするようになるのですが、個性の強い二人の間にはケンカが絶えず、ついにあの有名な事件が起きてしまいます。

8. 自分の耳を切ってしまう

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ゴッホの起こした有名な事件とは、自らの耳を切るという事件です。ご存知の方も多いのではないでしょうか。耳を切った理由には諸説がありますが、ゴッホ自身はこの事件について何も語っていません。事実だけを紹介すると…

事件当時のアルル新聞「昨日、日曜日の夜11時30分、オランダ生まれの画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、1号娼館に現れ、ラシェルという女を呼んで自分の耳を渡し、“これを大事に持っていてくれ”と言いおいて姿を消した。

不幸な狂人の仕業としか考えられないこの事件の通報を受けた警察は、翌朝この人物が瀕死の状態で自宅のベッドに寝ているのを発見した。

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ゴッホは、てんかんの発作もあったようで当初はアルル市立病院へ入院していたのですが、近隣住民がゴッホを怖がり病院から出すなという嘆願までする事態になってしまっていました。

結果的にゴッホは、自ら精神病院へ入院する選択をしたのです。

ゴッホは、入院してから、時折精神的な発作を起こしつつも、作品を作り続けていました。

一方、弟のテオは結婚し息子も生まれたにも拘らず、変わらぬ援助を続けていました。家から追い出してからも、金銭的な援助は続けていたのです。本当に優しい…涙。

精神状態も安定してきた5月、テオが住むパリから程近いオーヴェル=シュル=オワーズに静養しに来たゴッホですが、最期はあまりにも悲しい結末が待っていました…。

弟に看取られたゴッホ

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オーヴェル=シュル=オワーズで、静養しながら作品を描いていたゴッホですが、この頃テオが会社の経営者と対立しており、仲間と共に独立して画商をやるか悩んでいたのです。さらに、テオの妻子が体調を崩してしまいゴッホは心を痛めていました…。

そして7月27日、ゴッホは拳銃で自殺を図ったようで、29日未明にテオに見守られながら息を引き取りました。享年37歳、最期の言葉は「このまま死んでいけたらいいのだが」だったそうです。

写真は、7月27日までゴッホが過ごしていたオーヴェル=シュル=オワーズの旅館の部屋です。

生前には評価されず、死後に作品が評価されたゴッホ。その裏には、これだけの壮絶な挫折と苦悩が隠されていました。何か困ったことがあった時、これらの挫折と比べたらまだまだマシと思えるかもしれません。

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