記事提供:しらべぇ

フィリピン・マニラから車で走ること約2時間。アンヘレスという小さな街がある。この街には過去、米軍のクラーク基地があり、ベトナム戦争時にアメリカ兵の娯楽として作られたゴーゴーバーが乱立。それらは今でも健在で、その数およそ100軒はあると言われている。

アンヘレスは、世界各国から男たちがナイトライフを求め群がるエリアだ。フィリピンと聞くと治安の悪さを取り上げられるが、アンヘレスはマニラに比べると治安は良く、安心して遊べることが観光客たちにウケている。

フィリピン人女性たちは情熱的で、盛り上がることが大好きな人種だ。そんな彼女たちとひと時の享楽に溺れようとするのは、日本人男性も例外ではない。

女と酒の薫りが充満するこの街の外れで、旅行会社をたった1人で営む女性に出会った。「Hitomi Travel」を主宰する竹内ひとみさんだ。彼女が初めてフィリピンへ来たのは20年以上前だと言う。

「最初はマニラの旅行代理店でお手伝いしながら、10年ほど住んでいました」

10年住んだマニラからアンヘレスへ移った理由を聞くと、兵庫県・明石市出身の彼女は、神戸なまりの言葉で話しを続けた。

「アンヘレスへ来たキッカケは、特攻隊の慰霊祭だったんです」

あまり知られていないことかもしれないが、第二次世界大戦中、アンヘレス郊外のマバラカット飛行場は、神風特攻隊が初めて飛びだった場所だ。250kgの弾薬を積載した5機の特攻隊機は、レイテ沖のアメリカ艦隊に突撃し、散ったのである。

彼ら特攻隊の生き様に感動したフィリピン人画伯のディゾン氏は、1974年に神風特攻隊慰霊碑を建立。それからマガラカットでは定期的に慰霊祭が行われ、数年前からひとみさんも参加するようになり、住まいをマニラからアンヘレスへと移し、「Hitomi Travel」を立ち上げたのだ。

「私、結婚していて日本に旦那がいるんです。私が思うようにさせてもらってます。とはいえ、年に1回ぐらいは帰って会ってますよ」

異国の地、しかも日本人が少ない街で起業し、1人で運営することなど、簡単には真似の出来ないことだ。今後も特攻隊の慰霊祭には出席し続けると言うひとみさん。

異国の地へ来て、片道だけの燃料と爆薬を積み、敵艦へ突っ込んでいった彼らを想うと、遣る瀬ない。心が痛みます

第二次世界大戦の終戦から今年でちょうど70年。フィリピンの小さな街で、儚く散っていった勇兵の慰霊を欠かさない日本人がいることを、多くの人に知ってもらいたい。

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