まもなく3.11…東日本大震災から4年の月日が経とうとしています。神奈川に住む筆者にとって、この震災には、「ボランティア」という形で5回ほどに渡り関わらせてもらいました。

「ボランティア」と言うと、「偉いね」とか「すごい。何してきたの?」と言われることも少なくありません。でも、実際は、偉くもなければすごくもない、時には「私、何ができただろう?」と自問自答してしまうこともあります。

不足物資のヒアリングと安否確認に追われた初回

初めて私が石巻を訪れたのは、震災から約1か月半経ったときのことでした。人がいそうな建物をめぐり安否確認をしたり、避難所で不足している物資の供給に追われたりしました。

その頃の避難所からの風景です。空気も生臭くよどんでいて、ここで暮らしているみなさんを思うと胸が詰まる思いでした。

私も少しばかり清掃に協力させていただき、夏に訪れた際にはここまで見違えるように変わっていました。

住民さんの自立を支援するためのパソコン講習

この頃は住民さんの自立を支援できたらと、知人と一緒にパソコン講習会を開きました。ちなみに扇風機は、暑さ対策ではなくハエ除けに置いてあったものです。ブンブン飛んでいて「ここは日本!?」と思ってしまったことを覚えています

被災に遭われた方に、当日の体験を生々しく語っていただいたこともありました。現地で聞く話はリアルで胸を刺し、強く印象に残ったのを覚えています。必ず語り継ぎ、後世に残します。

住民さんとの集いでは手芸で交流

仮設住宅に散らばってからは、住民さんと一軒の家に集まって、手芸をすることもありました。ぽろっと出る住民さんの本音に耳を傾け、心のケアに努めました。

でも…正直、受け取ったものも大きかった現実。

ここまで書いてくると、いかにも「ボランティア」に見えたかもしれません。でも実際は、何かをしたら住民さんはそのたびのように差し入れをくださり、得意料理をふるまってくれることもしばしばでした。

元料理人さんがお鍋を作ってくれたお正月もありました。石巻産の牡蠣もふんだんで、ずいぶん贅沢をした思い出があります。

振り返って…「ボランティア」とは、「してあげること」じゃない

何度か重ねた被災地ボランティアを振り返って、私の中には「できたこと」と「してもらったこと」が半々のような感覚にあります。むしろ話を聞いてもらうことだってありましたし、石巻でないと食べられない料理に舌鼓をすることもありましたし…

受け取ったものの方が多かったかも、とすら思います。

でも、ボランティアってそういうものなのかな、とも思うんです。無償で成立する関係性。どちらが偉いわけでも、どちらがすごいわけでもなく、お互いが手を取り合うことで「笑顔になれる」。

これが何よりも大事なことなのではないかと思います。1人では笑えなかった今日が、手を取り合ったことでハッピーな1日になれる。それがボランティアであって、本来ならもっともっと気軽に、日常的に行われていいことなんじゃないかなとすら思います。

「私が行っても何もできないから…」という声をよく耳にします。でも、私も最初は同じ気持ちでした。でも、行って、最初は言われるがままに動いて、次第に見えてきた「自分のできること」

を、自分の身の丈でできたら、それは立派な「ボランティア」だと私は思います。

筆者も久しく被災地に行けていませんが、まだまだできることはあると聞いています。被災地、とは呼ばれますが、東北は本当にいいところです。皆さんもちょっとした勇気で、一度足を運んでみてはいかがでしょうか?

住民さんと笑顔になれたら、それは必ず世の中の「プラス」です。プラスにプラスにプラスに…の連鎖で、世の中がもっともっと明るく、復興に向かっていけたらいいですね。

筆者がお気に入りの、牡鹿半島の風景です☆

この記事を書いたユーザー

まも このユーザーの他の記事を見る

パン屋巡りとサッカー・フットサルが趣味。出版社での編集職を経て、現在ライター2年目。プライベートでは競技フットサルチームのスタッフとしても奮闘中。

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス