出典 http://ticket-news.pia.jp

早口なしゃべりと独特なキャラクターが幅広い世代から人気を集める黒柳徹子さん。なんと2015年12月31日、NHKホールで行われる「第66回 NHK紅白歌合戦」の総合司会に決定しました。

1953年、テレビ女優第一号としてNHKに入局して以来、50年以上にわたって、日本のテレビ界で第一線で活躍し続け、39年続く長寿番組「徹子の部屋」の司会や、累計750万部以上を売り上げた戦後最大のベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』の著者として知られる黒柳さん。

今回は、そんな彼女の生き方にクローズアップして、紹介していきます。

家族もすごかった…!

父は音楽家で、NHK交響楽団のコンサートマスターも務めたヴァイオリニストの黒柳守綱(旧姓田口)、母は声楽家でエッセイストの黒柳朝(旧姓門山)。弟はヴァイオリニストの黒柳紀明、妹はバレリーナでエッセイストの黒柳眞理、伯父には日本ニュースのニューヨーク支社長やアメリカ・メトロニュースの極東代表を務めた田口修治がいる。

出典 http://ja.wikipedia.org

幼少時代を描いた「窓際のトットちゃん」

出典 http://bookclub.kodansha.co.jp

1981年に出版され、一大ブームを巻き起こした「窓際のトットちゃん」。芸能人やスポーツ選手の著書はゴーストライターがまとめたものが多いと言われていますが、本作は全て自筆によるもの。

東京都目黒区自由が丘にかつて存在し、著者の黒柳が通学したトモエ学園を舞台に、黒柳自身の小学生時代についてはもちろん、トモエ学園に於けるユニークな教育方法(リトミック、電車を利用した教室など)や、校長である小林宗作の人柄が描かれ、また黒柳の級友も全員実名で、その中でも初恋の相手に物理学者の山内泰二も登場する、完全なノンフィクション。

出典 http://ja.wikipedia.org

子供のころから個性的!なんと小学校を退学させられる

出典 http://www.gettyimages.co.jp

彼女は最初に入学した小学校で問題児扱いされていた。教室の机のふたが珍しくて授業中何度もパタパタ開け閉めしたり、パタパタやってないと思ったら窓ぎわでチンドン屋さんを待っていたり、日本の国旗を画用紙に描く授業では軍艦旗に黄色い房をクレヨンで描いて机に跡が残ってしまったり、本人は好奇心旺盛なのだが先生からは迷惑がられてしまい、とうとう小学1年にして退学させられてしまう。

出典 http://kan-chan.stbbs.net

ユニークな教育方針のトモエ学園に転校

出典 http://stat.ameba.jp

トモエ学園の校長先生と初めて会ったとき、トットちゃんは前の学校や飼い犬、家族のことなど、次から次へと話し続け、その話はなんと4時間も続きました…。それでも校長先生は最後まで話を聞いてくれ、トットちゃんの話が全て終わった時に「君はここの生徒だよ」と言ったそうです。

特に、校長先生が何回も何回も言ってくれていた「君は、本当は、いい子なんだよ」という言葉は、これまで薄々と疎外感を感じていた彼女をいつも元気づけてくれる言葉であったという。

出典 http://blog.livedoor.jp

「窓ぎわのトットちゃん」は、この校長先生に向けて書いた本でもあるそうです。

NHK入社をきっかけにテレビの世界へ

出典 http://suke-up.com

NHKの放送劇団の俳優募集の広告を偶然目にし、テレビの世界に足を踏み入れることになった黒柳さん。

「音楽学校を卒業してオペラ歌手になれないことが分かったので、自分の子どもに人形劇や絵本の読み聞かせを上手にできるお母さんになろうと思ったんです。そんなときNHK放送劇団の俳優募集が新聞に出ていて、素人でも1年間養成してくれると書いてありました。ひょっとしたら絵本の読み方も教えてくれるかもしれないと応募したんです」。

出典 http://www.nhk.or.jp

失言を繰り返すも、見事審査に合格

放送劇団入社時の面接では「親に言ったらこんなみっともない仕事を(するのはやめろと言われた)…」「こういう世界は騙す人が多いから気をつけろという話を聞く」などの失言を繰り返したのにもかかわらず、合格できたという。

出典 http://ja.wikipedia.org

6次まであった審査を経て、約6000人の応募者の中から見事劇団員として選ばれました。

しかし、はじめはうまくいかなかった

出典 http://www.fujitv.co.jp

晴れてNHKの劇団員になった黒柳さんですが、「個性が強すぎる」と言われ、同期の中でもひとりだけ役がもらえなかったそう。

全然、人を羨んだり、自分と比べたりすることはなくて、 自分は自分でしかないなあって。 全部をユーモアで笑い飛ばして、軽くお洒落に生きて行けば、それはそれで立派に生きていけるんです。

出典 http://star-spica.com

個性を武器にすることで、存在感を発揮

個性が強すぎると言われ続けた黒柳徹子は番組のオーディションに合格した際、劇作家の飯沢匡に向かって「個性引っ込めますので宜しくお願いします」と告げたのだが、そのとき飯沢は首を横に振り「君のその個性が欲しいんだ」と伝える。

この言葉こそが結果として、黒柳徹子のその後の芸能人生に大きな影響を与えることになった。

出典 http://jp.news.gree.net

NHK紅白歌合戦の司会を務めるまでに…

出典 http://www.amazon.co.jp

1958年の「第9回NHK紅白歌合戦」で紅組司会を務めることに。そして、それから22年の月日が経った1980年「第31回NHK紅白歌合戦」でまた紅組司会に復帰し、そこから4年連続、通算5回紅組司会を務めました。

4年連続、通算5回の紅組司会という記録は、いずれも佐良直美さんに並び史上最多となっています。

38歳のとき、演劇を学ぶために単身ニューヨークへ

出典 http://crea.bunshun.jp

1971年に、私はニューヨークに1年間留学したことがあります。38歳のときでした。もともと、NHK専属のテレビ女優第一期生で、演技については素人でも構わないということだったんですが、ラジオやテレビでご一緒する俳優の先輩たちは、皆さん、ものすごく上手なの。私たちは、テレビなのでなるたけ自然な演技でいいと言われてはいたものの、ずっと芝居をやっている俳優の方たちは、存在感が違う。どうしてこんなに上手なんだろうと考えると、どうも皆さん、舞台の経験があるってことがわかったんです。だから私もいつか、劇団に入るかして勉強しなきゃダメだろうと思っていました。

出典 http://crea.bunshun.jp

もし、帰ってきて仕事がなかったら、それは才能がなかったということだから、また違う仕事をやればいいじゃないかと思っていたそう。

手探りのニューヨーク生活

出典 http://crea.bunshun.jp

人生であのときほど、いろんなことを学んだ時期はなかったように思います。まずは英語もそうだし、演劇学校ではウソのない台詞回しを。芝居のテクニックだけじゃなく、人間の生き方についても学びました。たくさんのスターの方たちにもお会いしました。ヘンリー・フォンダもキャサリン・ヘプバーンも。ものすごく優しくて、スターぶっていなくて、「人間がよくないと、俳優ってダメなんだな」と思いました。

出典 http://crea.bunshun.jp

最高視聴率41%の伝説の音楽番組「ベストテン」

出典 http://www.neowing.co.jp

レコード売り上げや有線リクエスト、ラジオ番組リクエスト、そして視聴者からのリクエストハガキの4部門から算出された点数により毎週上位10曲を発表するという歌番組「ザ・ベストテン」。

黒柳さんは当時TBSのアナウンサーだった久米宏さんと共に、この番組の司会に抜擢されます。

情報を操作しない!ありのままの結果を視聴者に

1978年1月の番組開始時、黒柳さんは「本当に1位でない人を、1位と言わせないでください」と“ランキング操作”拒否の姿勢を打ち出した

出典 http://www.daily.co.jp

その他にも「服装はフォーマルで」、「出演者は年下の人であっても、敬語で話す」、「一所懸命頑張っている人なのだから尊敬すること」など、様々なことを決め事をしました。

そして「ザ・ベストテン」は、平均視聴率35%を誇り、その後10年続く人気歌番組に。現在でも語り継がれるほど、伝説の番組になりました。

視聴率よりも、視聴者に喜んでもらうことが大事

「私は放送界で一番(視聴率を)考えない人間。これをやったら面白そうとか、見てくださる方はこういうのが好きじゃないかなとか。自分を信じて番組をやってきた」と発言。あくまで「視聴者に喜んでもらえること」を軸に、それを全うすることで、「数字」にこだわることなく、自らの信念を貫き通してきたことを明らかにした。

出典 http://news.aol.jp

「徹子の部屋」がはじまる

出典 http://www.tv-asahi.co.jp

元々はトークショー形式のワイドショー番組「13時ショー」をリニューアルする形で始まった「徹子の部屋」。毎回ゲストを招いて、様々なトークを展開する。

同一司会者による番組の最多放送回数記録としてギネス世界記録に認定されています。

「徹子の部屋」をはじめるにあたっての条件

日本初のト-ク番組「徹子の部屋」を始めるにあたり、黒柳がテレビ朝日に出した条件が「スタッフの入れ替えをしないこと」「編集をしないこと」であった(ただしこれは番組がいつまで続くか分からなかった開始当初のことであり、実際にはプロデューサーやディレクターは入れ替わっている)。

後者の理由は「ゲストのありのままの姿を引き出すため」「番組の質の低下を防ぐため」「ゲスト・黒柳・スタッフの三者間で『ここをカットしてほしい』『ここを残してほしい』と編集に関する意見が衝突するのを防ぐため」の3点である。

黒柳は「一切編集をしない。ほぼ生放送の状態。だから皆さん本心を話してくれるんでしょう。」と語っている

出典 http://ja.wikipedia.org

番組がここまで長く続くのも、黒柳さんの人柄があってこそ。ゲストが発する言葉に対して耳を傾け、自然な会話の中から人間性を引き出します。

いつもテーブルの上に置かれてあるメモの正体

出典 http://blog.livedoor.jp

担当ディレクターがゲストに話を聞いてきて、その話をだいたい1時間かけて黒柳さんに話します。そこから黒柳さんが「その話、面白い」というネタを自分でノートにメモをするのです。本当に受験勉強するみたいに。

それを本番の日に、エピソードごとに書かれた紙を「この話はこっちかな」「これはこっちかな」と切って張った、机に載るくらいの大きさの画用紙のメモを作ってきます。そのメモを見ながら、最終的な打ち合わせをディレクターと一緒に「この話はこっちにもってきたいけど大丈夫か」などと綿密にやる。切り張りのメモは前日とか前々日に作っているみたいです。本当にまじめですね。

出典 http://toyokeizai.net

ちなみに、そのメモの上にゲストがコップを置くと除けたり、置かないようにあらかじめ釘を刺すそうです(笑)。

黒柳さんの鋭いコメントや無茶ぶりがクローズアップされますが、ゲストの話を引き出すために、こんな努力をされていたなんて、知りませんでした…!

“芸人殺し”と恐れられていますが…

出典 http://sakuraneko.net

ゲストの才能やトークを引き出す能力がある一方、よく“芸人殺し”と言われる黒柳さん。その件について、番組のプロデューサはこのように語っています。

黒柳さんに「お笑い芸人の方も呼びましょう」とお願いしたのですが、黒柳さんからは「いろいろな人のVTRを見たけど、面白くない。笑えない」と(笑)。黒柳さんにとっては、お笑いの面白さは落語とか漫談。どこが面白いのかわからない人は呼びたくないとおっしゃっていたのですが、「じゃあ、笑えないということを、ゲストに直接言ってください」と。

黒柳さんは「何が面白いのか見てやろう」という気持ちだったのだと思います。だから、間寛平さんの「かい~~の」というギャグに「どこがかゆいんですか?」と真顔で聞いたり、アンガールズさんに「どこで拍手すればいいんですか?」と聞いてしまう(笑)。こうした「何が芸なのかわからないわ」という徹子さんの「素直な」トークが面白くて、視聴率が伸びたのです。

出典 http://toyokeizai.net

バラエティ番組からもラブコール!

出典 http://www.tv-asahi.co.jp

「徹子の部屋」にかつて出演した 芸人たちがトーク惨敗の歴史を振り返りながらも、次回出演する際の傾向と対策を練る企画が大ウケ!

そのエネルギッシュかつある種エキセントリックな生き方は多くの視聴者の共感を集め、テレビ朝日系『アメトーーク!』では「徹子の部屋芸人」として再評価されるなど、年齢を超えた生き方をテレビのど真ん中で見せつけてくれている稀有な存在。

出典 http://news.livedoor.com

女優業の引退を決意

しかし、「徹子の部屋」を続けていく一方、女優としての活動に終止符を打ちます。

今から40年くらい前は、女優としてドラマとバラエティを掛け持ちしていた時期もあったが「『徹子の部屋』をやっている時に悪女の役を演ったら、世の中に混乱される方がいる。具合が悪いのでそれを最後に辞めました。それも大きな選択でしたね」

出典 http://www.oricon.co.jp

1961年に第1回日本放送作家協会・女優賞を受賞し、ドラマに引っ張りだこだった黒柳さんにとっては、さぞ大きな決断だったことでしょう。

恋愛にも前向き!

現在80歳の黒柳徹子は、恋愛について「以前は年上の男性がタイプだったが、今となっては年下がよい。10歳下でも70歳、20歳下でも60歳なので…どうしよう」と悩んでおり、まだまだ恋する気持ちは満々だ。

出典 http://japan.techinsight.jp

子供たちのために

出典 http://www.oricon.co.jp

1984年からはユニセフ親善大使として任命され、毎年、世界で飢餓や貧困、虐待などで苦しむ子供たちのいる地域を訪問。その窮状を伝え、支援を訴える活動をボランティアで続けています。

2003年には、20年にわたるユニセフ親善大使としての功績を称えられ、日本政府より瑞宝中綬章を授与されました。

ユニセフの親善大使を続けてきて、「それだけやっても世界は良くならないではありませんか。むなしくありませんか」と言われることがある。けれど、ひとりの子どもでも、救うのはたいへんなこと。私は、世界中の子どもを救おうなどとは思っていない。ただ、私が伝え、みなさんからいただいた募金で、少しでも子ども達が助かってくれると嬉しい。

出典 http://www.inv.co.jp

思いのままを言葉にして伝える軽快なトークと、強い信念のもと活動し続ける黒柳徹子さんから、今後も目が離せません!

この記事を書いたユーザー

うらら このユーザーの他の記事を見る

ネットを中心に執筆活動をしております、うららと申します。ネットやテレビで話題になっていることを独自の観点で(?)まとめていますので、楽しんでいただけると幸いです。

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス