日本一のフェラーリ遣いと呼ばれた太田哲也さんを知っていますか?

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1959年11月6日生まれ。自動車評論家・レーシングドライバー。4年連続でル・マン24時間レースにフェラーリで出場するなど日本一のフェラーリ遣いの異名を取ったプロフェッショナル・レーシングドライバー。

1998年全日本GT選手権第2戦富士スピードウェイで多重事故に巻き込まれ瀕死の重傷を負う。

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現在は講演活動などでご活躍中の太田さん。スポーツドライビングスクールの校長をやっておられます。筆者が太田さんを知ったのは一冊の本がきっかけでした。

1998年5月3日 雨の富士スピードウェイで起きた大事故

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事故直後、太田は車内まで火が回り激しく炎上し続けるマシンの中に90秒近く取り残された。消火と救助を開始したのは、炎上する太田車の脇を通過した後に駆けつけたRE雨宮所属(当時)のドライバー山路慎一であった。

その後現場に到着し、太田の搬送に用いられたのは救急車ではなく、富士スピードウェイの機材車(商業用バン)であった。そのあまりの対応の遅さとずさんさに激怒した山路はその場でレスキューカーのフェンダーに蹴りを入れている。

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90秒近く炎上するマシンに取り残された太田さん。事故当時の混乱も伺えます。

全身の40%を火傷。肺も損傷し「72時間」命の宣告。

太田が生死をさまよう中、家族はテープに声を録音し24時間呼びかけ続けた。長男「リレーの練習するの、頑張るからパパも頑張って」長女「ディズニーランド連れてって」夫人「望むことは、哲っちゃんとまた一緒に笑いたい」

その声に呼び戻されるように事故から10日後、意識を取り戻す。

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死ぬより辛い、生きる日々。なくなってしまった鼻

奇跡的に意識を取り戻した太田さんは変わり果てた自分の姿と対面します。鼻がない。動かない身体、人間とは思えなかった姿。絶望という簡単な言葉では言い表せない日々。生きることが苦しい」彼を助けてくれた人、担当医師まで逆恨みする日もあったと後に太田さんが語っています。

「あなたの為じゃなくていいから私達の為に生きて!」

そんな太田さんを懸命に支えた家族こそが太田さんの希望の光となります。自分が存在する意義、誰かに必要とされること、誰かの為に生きること。そこから、懸命のリハビリの日々と数えきれない手術を受ける日々が始まります。

「トラウマをさけるな」事故後、再度サーキットに向き合った日々とは

リハビリを受ける日々の中、驚くことに太田さんはサーキットに復帰します。

事故後、初めて富士スピードウェイに行ったときも、前日にいきなり原因不明の39度の熱が出たんです。すぐに病院に行ってドクターに診てもらったら「入院しろ」と言われた。「こんなに急激に熱が出るのはおかしい。何か変な病気かもしれない」と。

でも当日、会場に行って観客席から事故現場を見て、選手たちに会ったりしていたら、いつのまにか熱が下がってきて、夕方には平熱に戻っていた。トラウマだったんでしょうけど、実際に行ったらたいしたことがなくて、夕方には熱が下がったんですね。

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走っているうちに、ゴツゴツした感覚やGがかかるじゃないですか。スピードを上げると「どうやって速く走ろう」と集中して、怖さがだんだん減ってきた。だから、トラウマがあっても、避けちゃいけないと思うようになりましたね。

持論ですが、恐怖には2種類あると思うんです。本当に危ない恐怖と、本当は危なくないけど自分で決めている恐怖。“見えないおばけ”のように正体がわかれば、怖くはない。トラウマになることがあっても、それを再体験して、たいしたことがないんだと身体に教えれば克服できるんだなと思いましたね」(太田氏談)

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どうせいつか死ぬんだ。明日かもしれない。でも今、生きている。

同じような火傷を負った人達と励まし合ったり、家族や友人と過ごす日々の中で1歩ずつ前に進み、1日1日を過ごしてきた太田さん。小さな喜びを少しづつ見つけていく中で、それは大きな喜びになっていき未来を少しづつ見つける時間になりました。

人生において絶体絶命はない

「勇気を出して一歩踏み出すことで先は見えてくる」「人生において絶対絶命はない」
「生きることにチャレンジし続けよう」太田さんが設立したNPO法人が目指していること。太田さんが自分自信を励ますために書いた言葉が、今たくさんの人を励ましています。

「KEEP ON RACING」のトレードマークとして使われている文字は、事故から数ヶ月に太田哲也が左手で書いたものです。その頃の右手は、やけどで腫れ上がり指を切断することも検討されたほど。

左手も少なからずやけどを負っており、当然利き手ではないから今まで文字など書いたことはありませんでした。しかし、またチャレンジをするんだという決意を込めて書かれた文字なのです。

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絶望が希望に変わる瞬間

本だけではわからない、多くの葛藤や挫折・苦しみを味わってきたであろう太田さん。現在は、講演会やNPOの活動を通じてたくさんの人に希望を与える存在になっています。今日という日が今あること。そのことを忘れないでいたい。今までの太田さんにも、これからの太田さんにもたくさんの希望や夢を感じます。

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