「日本」が揺れています。

本当は20年経った1月17日に書き上げるつもりだったのですが…仕上げれませんでした。個人的な話で恐縮極まりないのですが、せっかくこんな「場」をいただけているのでここに書き残そうと思います。いや、正直、公開するの躊躇しましたが。

神戸市があの日の貴重な写真を無料で公開している、という記事を読みました。なんとなく「報道されることもない誰も知らないおっさんの戯言」を書きたくなりました。

「自分のブログでやれ!」? ごもっともです。酒場のおっさんの独り言として読み流していただければ幸いです。

1月17日だけでなく、あの日を基準にしてみたら毎日があれから20回目なんです。今年、息子の誕生日の日にちが来たら、それは20回目の誕生日なんです。

人の数だけ基準になる日はあると思います。毎日が誰かにとって何回目かはわからないですが特別な日、ですよね。

1995.1.17

前年に結婚、初めて迎えた新居での正月も過ぎた3連休明け。たまたまその日、仕事で遠出しなければならなくて5時半に起床、ケトルを火にかけタバコを吸いにベランダに出ました。あとになって空が一瞬光ったような気がしています。そして爆発音と轟音。

その後は断片的な記憶しかありません。洗面所にいた嫁のところへ駆け寄ったこと。立つことすらできなかったこと。コンロの火を止めたこと。電気が落ち、唯一の情報源となったカーラジオから聴こえる道上洋三さんの声。「地震」「阪神高速」「阪急伊丹駅」「倒れた」という馴染みのある言葉と聞き慣れない言葉。

明るくなって床一面に散らばっていた食器棚のガラスや割れた食器を片付け始めました。コンロの火を消す時にガラスや食器の破片の上を裸足で走ったからでしょう、足の裏がザクザクでしたが痛みは覚えていないです。

寝室では布団の上に鏡台と箪笥が倒れていました。鏡が割れなかったのはちょうど枕が受け止めていたから。

裏にあった1階部分が駐車場になっていた5階建てのマンションは、駐車場がなくなって4階建てになっていました。電気も水もガスも使えません。近所のスーパーは壁面のガラスが割れ開店するかどうかもわかりませんでした。

兵庫県尼崎市の阪急神戸線、武庫之荘駅近くで新生活を始めたばかり。なんでこんなことが…と思っていました。

夜に備えて蝋燭を…と思ったのですが、当時はそんな防災に対する意識もなく、買い置きがありません。仕方なく、結婚式のキャンドルサービスで使った巨大蝋燭、目盛りに合わせて1年ごとに燃やしていくとちょうど20年でなくなる…あまりにも状況にそぐわないおめでたい蝋燭をテーブルに置いたとき、なんだか笑ってしまったことを思い出します。

毎回クルマまでカーラジオ聴きに行くのもしかたないのでしばらくは情報から遮断されていました。もちろん電池で動くポータブルラジオなんて持っていません。

暗くなる前に電気が一瞬通りました。急いでテレビを点けるとそこには…

1995.1.25

電気はいったんまた落ちましたがその日のうちに、ガスは10日程度で復旧しました。水道が通るのはまだまだ先です。お風呂の水を抜いていなかったこと、マンションだったのでタンクに水がある2日ほどはまだ使えたこと、家の前でマンホールから水が溢れでていたこと、と幸運が重なりお風呂は無理にしても極限までは困ることはありませんでした。宝塚の実家は無事でお風呂は実家で入っていました。クルマで10分だったのに1時間かけて。

今でもお風呂の水は入浴直前に入れ替えるまで栓は抜きません。

阪急神戸線も西宮北口までは復旧、出社することを決めました。やっぱりトイレも困りましたし。

阪急梅田駅を降り、地下街を通り、当時堂島にあったオフィスに向かう中、目にしたのは何事もなかったように動いている大阪の街。行き付けの立ち飲み串カツ屋さんも平常営業。「え?え??」目の前の大阪の街並みと自分たちが住んでいる場所と変わり果てた神戸の姿の間で眩暈すら覚えました。

その日は無事が確認できた(携帯なんて無かったですし)、ということで地域では不足していたポリタンクを会社からもらって帰りました。横では製品が届かないというクレームに詫びている同僚。なんだろう。…ぽっかり穴が開いたような。無表情な。そんな顔して帰宅して、持ち帰ったポリタンクで道からあふれている水を汲んで帰ったこと、覚えています。

だんだんと起きたことを把握していきましたが実感なんて沸くはずもありません。通っていた大学の学生寮、大学時代にはたくさんの友達が住んでいた学生寮が崩壊したことも後になって知りました。幸い、幸いなのかどうかはわかりませんが、私たちの一族、知人、知人の関係者も無事でした。

そして

その年、東京では地下鉄サリン事件が起き世界中を震撼させました。そして野茂は大リーグへ旅立ち、神戸では「がんばろうKOBE」を胸にイチローを擁するオリックスが優勝を果たし…私の息子が生まれました。

その後、一部損壊認定を受け、被災者枠で冒頭に触れた昆陽池公園を臨むマンションを購入、直後に東京へ転勤となります。税制優遇があるから買えた物件ですが、住民票を移した結果、それが受けられなくなり売却したのはまた別の話です(苦笑

2011.3.11

東京に転勤してすっかり江戸っ子になったウチの家族。震災の年に生まれた息子の高校進学も決まり、通っていた中学校で卒業記念の遠足で息子はその日、横浜に行っていました。妻はたまたま仕事が休みで在宅、娘は近所の地域の小学校へ、私はルーチンの打ち合わせで横浜のクライアントへ向かう時でした。

地下鉄でそろそろ乗り換え、と思った地下鉄九段下駅でその時が来ました。緊急停車。ただ…あの時に比べたらまだ全然、と思っていたら第二波で避難勧告が出たので地上に出たらそこは九段会館。まだ状況把握できていません。

正直、交通網もストップし「打ち合わせ正当にキャンセルできてラッキー」とか思ってました。とりあえず歩けない距離じゃないし会社に帰るか、ケータイ通じないのも一時的なものだよな、なんて歩き出した時に観た電気屋さんのテレビで、事の大きさを知ることになります。

あの時と違っていたのは手に握っている端末。通信環境は不安定すぎ、なかなか捕まえられませんでしたがなんとか学年全員、一時避難所になったパシフィコ横浜にいることはわかりました。私は都内から徒歩で未明に帰宅、翌日夜に息子が帰宅、家族全員揃いました。

自宅も基本的インフラは問題なく、そしてあの頃沸き上がった虚無感もなく、極々ミクロな世界観で幸せだ、と思って「しまい」ました。あれ?この感覚って。

小並な言い方ですが。生かされているんだな、て想わざるを得ませんでした。そして生きていかなきゃいけないんだな、て想わされました気がします。

2015.1.17

阪神の年に生まれた子どもたちは高校生になる、という思春期の真っただ中に東日本を経験し、あれから20年経ったのだからみんな20歳、成人になるわけで。

言っても阪神も東日本も私が体験したことなんて全然、軽いと思います。ただ。20年前のあの日、あの朝、偶然にも布団から出ていなかったら。今年20歳になる息子はおろか、私自身が今こうやって駄文を書けていなかったと思うんです。

今生きている、って生かされている、意味はわからなくても意味がある、としか想えないこともあったりします。生きていて良かった、生まれてきてくれてありがとう、生きていてくれてありがとう、て思うしかないこともあるのです。

ゆこう

出典 YouTube

ごめんなさい。一人語りにも程がありました。ここまでたどり着いた方々には深く御礼申し上げます。

あの日引っ張り出したキャンドルサービス用の蝋燭、あんなに大きかったのにあれっきり行方不明になりました。結局1回も火をつけることなく、20年が過ぎました。ま。20年で燃え尽きるわけにはいかないので。がんばっていきましょう。ですね。

阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。
うちもその一軒。

夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。

「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」

うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。

阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。そして最後に残された西宮北口~夙川間の高架部分の再開によって、ついに神戸本線は全通した。

再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。

神戸で逝った友のもとへ行くために。

運転台の後ろは人だかりだった。

みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。


夙川を渡るそのとき、

川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。

手書きの横断幕を持って・・・。

 

「あ り が と う  は ん き ゅ う で ん し ゃ」

 

運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。

そして大きく「出発進行!」と声を上げた。

その声は涙声になっていた。漏れも泣けた。

 

ときよ、上越新幹線よ、もまいを待っている人々がいる。

復興のために、そして人と人をつなぐために。
よみがえれ、不死鳥のごとく。

出典 http://d.hatena.ne.jp

新潟・中越震災の頃に出た有名なコピペです。下から3行目、そこには何を入れても変わらない気持ちだと思います。いや、1行目だってもっと遡れば…

生きていることに感謝して生まれてきたことに感謝して生かされていることに感謝して。

がんばろう、日本。がんばろう、俺たち!の気持ちで。

…なんて話を息子が20歳になったら酒飲みながらしてみたいものです。河島英五の唄じゃないですが。

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酒と泪と家族とコネタをこよなく愛する40代半ばの週末料理人、たまに公式ライター。兵庫県生まれ兵庫県育ち。東京在住。主に飲み屋街に出没。人生はプロレス。生きものばんざい。涙腺弱い。胆石持ち。豆腐メンタル。アイドル好き。同級生の嫁、大学生の息子と中3の娘、そしてカメ3匹と暮らしています。BABYMETALが遠くに行ってしまい子離れに耐える親気分w (twitter: @makidekazu )

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